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葉剣英 ようけんえいYe Jian-ying

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

葉剣英
ようけんえい
Ye Jian-ying

[生]光緒23(1897).5.14. 広東,梅県
[没]1986.10.22. 北京
中国の政治家,軍人。雲南講武堂を卒業し,黄埔軍官学校教導団団長,国民革命軍第1軍参謀長,第2方面軍参謀長などを歴任して,1926年中国共産党に入党。 27年の広東暴動に第4教導団を率いて参加したが失敗し,ドイツに亡命。次いでモスクワに留学し,31年帰国して江西ソビエト区に入り,参謀長,紅軍学校長をつとめた。 34年長征に参加し,36年の西安事件後は西安弁事処主任。日中戦争中は八路軍参謀長となり,漢口と南京の弁事処主任を兼任した。戦後の国共交渉で軍事調停班主任をつとめ,広東軍区司令,広州市長などの要職を経て,54年国防委員会副主席。 55年元帥となり,56年の共産党八全大会で中央委員。 66年党中央書記処書記,中央政治局委員に任命され,69年九全大会で中央政治局委員。 73年の十全大会では中央政治局常務委員,副主席。 75年国防部長に任命され,76年職務が実質的に停止されたが,76年 10月四人組の逮捕に決定的な役割を演じた。 77年十一全大会で副主席,中央政治局常務委員。 78~83年第5期全国人民代表大会常務委員長。 85年中央委員,政治委員,政治局常務委員を辞任。 86年 10月病死。

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デジタル大辞泉の解説

よう‐けんえい〔エフ‐〕【葉剣英】

[1897~1986]中国の軍人・政治家。広東省梅県の人。広東コミューン長征に参加。日中戦争では八路軍参謀長・人民解放軍総参謀長を歴任。人民共和国成立後も国防部長・党副主席などの要職を歴任。イエ=チエンイン。

イエ‐チエンイン【葉剣英】

ようけんえい(葉剣英)

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百科事典マイペディアの解説

葉剣英【ようけんえい】

中国の軍人,政治家。広東省の人。雲南講武堂を終え,軍の要職を歴任。1926年中国共産党に入党。1927年広東コミューン失敗後ドイツ,モスクワにのがれた。1931年帰国し,長征に参加。
→関連項目広州コミューン

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

葉剣英
ようけんえい / イエチエンイン
(1897―1986)

中国の軍人、政治家。広東(カントン)省梅県の客家(ハッカ)の出身。1919年雲南の講武学堂卒業、1924年黄埔(こうほ)軍官学校教官、1926年中国共産党入党。1927年広東コミューン(広州コミューン)に参加し失敗、モスクワの中山大学に留学し、1931年帰国。江西ソビエト区に入って紅軍第三軍団(軍団長は彭徳懐(ほうとくかい))参謀長、紅軍学校長、ついで第一方面軍参謀長。長征に参加して陝北(せんほく)に移り、西安(せいあん)事件のあと紅軍西安弁事処主任となる。日中戦争に際して八路軍参謀長、1945年党中央委員、1949年北京(ペキン)解放とともに市長、のち華南軍区司令兼広州市長。1955年元帥。1956年党政治局員、1965年中央軍事委員会副主席。1971年林彪(りんぴょう)失脚後、国防相代行。1973年政治局常務委員、1975年国防相、党副主席となる。1976年華国鋒(かこくほう)政権の誕生を助け、1977年党第一副主席。1978年全国人民代表大会常務委員長。1982年政治局常務委員、党軍事委員会副主席。1983年国家軍事委員会副主席を兼ね、軍事面・政治面での最高指導者の一人となったが、1985年すべての職務から引退した。[安藤彦太郎]

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