四軒町
しけんまち
上人町の西に続く高麗橋通の両側町。西は御霊筋のやや西まで、間に淀屋橋筋を挟む。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図に町名はみえるが、町域は淀屋橋筋と御霊筋の間で、のちに上人町の心斎橋筋と淀屋橋筋の間が加えられた(初発言上候帳面写)。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数二九・役数三六役で、うち年寄分一役が無役。年寄は福島屋長右衛門。宗旨組合は高麗橋一丁目に同じ。延享版「難波丸綱目」に旗本花房用聞・江戸飛脚屋の越前屋又左衛門、伊予今治藩名代・肥前蓮池藩銀掛屋・京飛脚・経師表具師・鮫屋・竜吐水細工が各一、絵師大岡江保が載る。
四軒町
しけんちよう
[現在地名]熊本市水道町
北は比丘尼町、東は白川、西は水道町に接し、当町筋より南は高田原地域であり、手取・千反畑地域の最南端部である。江戸時代の絵図もすべてこの町の通り北側までを一つの地域として描いている。現在の大甲橋から水道町交差点に至る通りである。宝暦四年(一七五四)頃には通りの北側は、通り中央を南北に走る通りから西半分のみに武家屋敷がみられ、切米取諸役人屋敷六・知行取屋敷一である。
四軒町
しけんちよう
[現在地名]千代田区神田美土代町
三河町四丁目と雉子町の西に位置する町屋で片側町。西は道を挟んで平岡氏拝領屋敷、南は浅野氏拝領屋敷と三河町四丁目裏町、北は道を挟んで近藤氏拝領屋敷。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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