デジタル大辞泉 「淀屋橋」の意味・読み・例文・類語 よどや‐ばし【淀屋橋】 大阪市の土佐堀川に架かる御堂筋の橋。江戸時代に豪商淀屋个庵こあんが架けた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「淀屋橋」の意味・読み・例文・類語 よどや‐ばし【淀屋橋】 [ 1 ] 〘 名詞 〙 京都、三条通寺町にあった革タバコ入れ屋の名から転じて、そこで作った製品をいう。淀屋。[初出の実例]「太義して・家日雇が提げた淀屋橋」(出典:雑俳・虫目鏡(1812))[ 2 ] ( 米相場を開いた豪商淀屋がかけたと伝えられるところからいう ) 大阪市、土佐堀川にかかる御堂筋の橋。堂島川にかかる大江橋と対する。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
日本歴史地名大系 「淀屋橋」の解説 淀屋橋よどやばし 大阪府:大阪市東区大川町淀屋橋土佐堀(とさぼり)川に架かる橋で、東区大川(おおかわ)町と北区中之島(なかのしま)一丁目を結び、御堂(みどう)筋(淀屋橋筋)が通る。江戸時代は町橋で、北詰は上中之島(かみなかのしま)町(現北区)、南詰は大川町。長さ三四間二尺・幅二間(「地方役手鑑」大阪市史編纂所蔵)。橋名は架橋した大川町の豪商淀屋にちなむ。初代の淀屋常安は材木業を営み、中之島(現北区)の開拓者でその名は常安(じようあん)町(現同上)、常安橋として残る。その子个庵は大川町の淀屋を継ぎ、諸大名の蔵米販売を一手に引請け、同町の店頭には米市がたった。これが後の堂島(どうじま)米市場(現同上)のもととなった。一方、元和二年(一六一六)京橋(きようばし)一丁目淀屋屋敷で青物市場(後の天満青物市場)が再興され、同八年个庵らを代表として開かれた葭島(よしじま)新地(現西区)には靭(うつぼ)三町が形成され、また新地の西部にはのちに雑喉場(ざこば)魚市場が生れていったように、个庵は大坂三大市場の形成と発展に多大な影響を与えた(東区史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
デジタル大辞泉プラス 「淀屋橋」の解説 淀屋橋 大阪府大阪市にあるコンクリートアーチ橋。1935年竣工。土佐堀川に架かる。もとは江戸時代の豪商、淀屋が架橋したもの。現在の橋は、1924年に当時としては珍しい公募によりデザイン決定された。2000年、土木学会により「大川・中之島の橋梁群」のひとつとして土木遺産に認定。2008年には「大江橋及び淀屋橋」のひとつとして国の重要文化財に指定。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「淀屋橋」の意味・わかりやすい解説 淀屋橋よどやばし 大阪市北区,中央区の区境をなす土佐堀川にかかる橋。北の中之島と南の船場を結ぶ橋で,寛永年間 (1624~44) に豪商淀屋个庵によって架橋されたと伝えられ,橋名はそれに由来。現在の橋は 1935年に架設。橋上の道路は御堂筋で,橋の北側に市庁,日本銀行大阪支店があり,南側は北浜の証券街。付近一帯は大阪の経済中心地。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
事典 日本の地域遺産 「淀屋橋」の解説 淀屋橋 (大阪府大阪市北区中之島1・2~中央区北浜3・4 間)「大阪市都市景観資源」指定の地域遺産。 出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報 Sponserd by