回民起義(読み)かいみんきぎ

山川 世界史小辞典 改訂新版 「回民起義」の解説

回民起義(かいみんきぎ)
Huimin qiyi

中国ムスリムである回民(現在の回族)の対清反乱。1862年,陝西(せんせい)省華州で回民と漢族の衝突事件が勃発したのを契機として,同年末には甘粛,64年には新疆(しんきょう)北部へと,反乱が拡大した。しかし,各地の勢力は統合化されず,分立状況にあった。甘粛の金積堡(きんせきほ)によった馬化龍(ばかりゅう)は,回民のイスラーム信仰の保障を求めていたが,左宗棠(さそうとう)を総司令官とする清軍の集中的な攻撃を受け,撃滅された。他方,河州の馬占鼈(ばせんこう)は清軍に帰順した。陝西,甘粛の反乱は73年に粛州陥落をもって終息した。陝西の回民指導者白彦虎(はくげんこ)は清軍から逃れ新疆をへてロシア領に移動,定着した。これが現在の旧ソ連領中央アジアに在住するドゥンガン人の起源の一つである。雲南では西北部より早く,55年に反乱が発生し,大理(だいり)を拠点とする杜文秀(とぶんしゅう)の勢力による独立政権の樹立につながったが,清軍によって72年に鎮圧された。雲南東部の馬如龍(ばじょりゅう)は清軍に帰順し,73年に反乱は終息した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「回民起義」の意味・わかりやすい解説

回民起義
かいみんきぎ

中国、清(しん)代中期以降、雲南、陝西(せんせい)、甘粛(かんしゅく)、青海、新疆(しんきょう)地方に起こった中国回民(イスラム教徒。いまは回族とよばれる)の反乱。おもな反乱としては1855年から73年までの雲南回民の反乱(パンゼーの乱)、1781年と84年に青海と甘粛に起こった新教回民の反乱、1862年から73年に陝西、甘粛、新疆に起こった回民反乱があり、1862~73年のものには新疆のウイグル人も参加した。原因は、清朝の少数民族圧迫に対するイスラム教徒の反抗であるが、いずれも清朝によって平定された。これらの回民反乱に関する政府および民間の数多くの記録を編集したものに『回民起義』4冊(白寿彝(はくじゅい)編)がある。

[佐口 透]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「回民起義」の意味・わかりやすい解説

回民起義
かいみんきぎ
Hui-min qi-yi; Hui-min ch`i-i

中国,清代の回民 (イスラム教徒) の反乱に関する史料を収集して編纂したもの。白寿彝 (1976年現在,北京師範大学教授) 編。4冊。 1952年刊。第1,2冊は,道光・咸豊・同治年間 (1821~74) の雲南における反乱関係の史料で,官撰書だけではなく,イスラム教徒の手に成る第1次史料も多い。第3,4冊はほとんど清朝側の史料であるが,順治 (1644~61) ,乾隆 (1736~95) ,同治・光緒 (1862~1908) 間の北西 (現在の新疆ウイグル自治区方面) のイスラム教徒の反乱に関するものである。

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旺文社世界史事典 三訂版 「回民起義」の解説

回民起義
かいみんきぎ

回部

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