回部(読み)かいぶ

精選版 日本国語大辞典 「回部」の意味・読み・例文・類語

かいぶ クヮイブ【回部】

中国清代に、イスラム教徒トルコ族の住んだ天山南路地方の名称。天山北路準部に対応する呼称で、光緒八年(一八八二両部を合わせて新疆省とした。回疆(かいきょう)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「回部」の意味・わかりやすい解説

回部
かいぶ

清(しん)朝時代に、いまの新疆(しんきょう)ウイグル自治区タリム盆地とそのイスラム教徒定住民をさした名称。1750年代に西域へ進出した清朝は、ジュンガル部の住む天山北路を準部(ジュンガリア)とよび、天山南路のイスラム教徒地方を回部とよんだ。1760年に清朝は準部を根拠とするジュンガル王国を滅ぼすとともに、その属領となっていた天山南路の回部をも支配して、清朝の藩部(はんぶ)の一つとして統治した。回部の定住トルコ人はいまのウイグル人の前身であり、当時、民族自称名をもたなかったので、清朝は彼らを回子(かいし)、回人(かいじん)ともよんだ。準、回両部をあわせて新疆とよんだ。清朝は回部の統治機関として伊犂(いり)将軍を最高長官とし、カシュガル駐在の参贊(さんさん)大臣を長とする各城市の弁事大臣に土着人を監督させ、土着人出身の有力者をベク(伯克)という称号をもつ官吏に任命して、自治を許した。北京(ペキン)の中央政府では理藩院のなかの徠遠清吏司(らいえんせいりし)が回部の事務を総轄した。清朝は回人と漢人を対立させたり、隔離、懐柔の政策をとったが、1860~70年代の新疆イスラム教徒の反乱が平定されたのち、1882年に新疆省制を敷いたので、回部は清朝の直轄地となり、これより回部の名称はしだいに消滅した。1930年代に新疆のイスラム教徒トルコ人はウイグルという民族名をとり、1949年の中華人民共和国の成立後、回部の地方は新疆ウイグル自治区の行政区域内に入っている。

[佐口 透]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「回部」の意味・わかりやすい解説

回部
かいぶ
Hui-bu; Hui-pu

中国,新疆の南部のウイグル人イスラム教徒の総称。この地方のオアシス都市の住民は,古くはインド・ヨーロッパ語系の民族であったが,840年のウイグル帝国の崩壊後,移住してきたウイグル人の影響で次第にチュルク化した。 13世紀になるとその居住区はチャガタイ・ハン国領となり,14世紀にハン国が東西に分裂すると,東チャガタイ・ハン国に属した。 16世紀には西方から来たカシュガル・ホージャ家が実権を握り,17世紀にジュンガルがハン家を滅ぼすと,ホージャ家のイスラム神権政治が実現したが,1759年清に征服された。 19世紀にはしきりに反乱が起り (→回民起義 ) ,ヤクブ・ベクの反乱の鎮定後,1882年ここに新疆省がおかれた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「回部」の解説

回部(かいぶ)
Huibu

清朝で東チャガタイ・ハン国の旧版図をさした名称で,現在の中華人民共和国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区の天山山脈以南に相当する。この地方は古くから回紇(かいこつ)すなわちウイグル人の住地で,回部または回疆の名もそれから出た。16世紀以来預言者ムハンマドの子孫というホージャ一族が移住して,カシュガル・ホージャ家として神権政治をしいた。18世紀に清がこの地方を征服すると,土着の地主階級であるベク(bek)たちが権力を握った。最初は清の理藩院の管轄下に置かれ,イリ(伊犂)将軍が直接統治にあたったが,19世紀の大反乱(回民起義(きぎ))ののち,1882年省制がしかれて新疆省となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「回部」の解説

回部
かいぶ

東トルキスタンのトルコ系イスラーム部族およびその居住地域の略称
古来東西交易の要地であった。元代はチャガタイ−ハン国に属したが,16世紀半ばごろ西トルキスタンからカシュガルに来たホッジャ(尊称)一門に握られ,1680年ごろからモンゴル族ジュンガル部に支配された。1755〜60年回部・ジュンガル部はともに乾隆 (けんりゆう) 帝に征服され,新疆 (しんきよう) (シンチヤン) と命名されて清朝の藩部となる。19世紀半ばごろイスラーム教徒の反乱(回民起義)が頻発。左宗棠 (さそうとう) が平定したが,平定前に進出したロシアと国境線に関して不利な内容のイリ条約を結んだのち,清は1882年新疆省を設立した。その後,一時ウイグル族・カザフ族による東トルキスタン共和国が成立したが,1955年ウルムチを首都とする新疆ウイグル自治区となり,現在に至っている。

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