清(しん)朝時代に、いまの新疆(しんきょう)ウイグル自治区のタリム盆地とそのイスラム教徒定住民をさした名称。1750年代に西域へ進出した清朝は、ジュンガル部の住む天山北路を準部(ジュンガリア)とよび、天山南路のイスラム教徒地方を回部とよんだ。1760年に清朝は準部を根拠とするジュンガル王国を滅ぼすとともに、その属領となっていた天山南路の回部をも支配して、清朝の藩部(はんぶ)の一つとして統治した。回部の定住トルコ人はいまのウイグル人の前身であり、当時、民族自称名をもたなかったので、清朝は彼らを回子(かいし)、回人(かいじん)ともよんだ。準、回両部をあわせて新疆とよんだ。清朝は回部の統治機関として伊犂(いり)将軍を最高長官とし、カシュガル駐在の参贊(さんさん)大臣を長とする各城市の弁事大臣に土着人を監督させ、土着人出身の有力者をベク(伯克)という称号をもつ官吏に任命して、自治を許した。北京(ペキン)の中央政府では理藩院のなかの徠遠清吏司(らいえんせいりし)が回部の事務を総轄した。清朝は回人と漢人を対立させたり、隔離、懐柔の政策をとったが、1860~70年代の新疆イスラム教徒の反乱が平定されたのち、1882年に新疆省制を敷いたので、回部は清朝の直轄地となり、これより回部の名称はしだいに消滅した。1930年代に新疆のイスラム教徒トルコ人はウイグルという民族名をとり、1949年の中華人民共和国の成立後、回部の地方は新疆ウイグル自治区の行政区域内に入っている。
[佐口 透]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
清朝で東チャガタイ・ハン国の旧版図をさした名称で,現在の中華人民共和国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区の天山山脈以南に相当する。この地方は古くから回紇(かいこつ)すなわちウイグル人の住地で,回部または回疆の名もそれから出た。16世紀以来預言者ムハンマドの子孫というホージャ一族が移住して,カシュガル・ホージャ家として神権政治をしいた。18世紀に清がこの地方を征服すると,土着の地主階級であるベク(bek)たちが権力を握った。最初は清の理藩院の管轄下に置かれ,イリ(伊犂)将軍が直接統治にあたったが,19世紀の大反乱(回民起義(きぎ))ののち,1882年省制がしかれて新疆省となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新