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国峰城 くにみねじょう

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日本の城がわかる事典の解説

くにみねじょう【国峰城】

群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町(旧甘楽郡小幡町)にあった山城(やまじろ)。同町指定史跡。築城時期、築城者はわかっていない。この一帯を領有していた豪族(国人)の小幡氏が築き、その居城とした城で、雄川左岸の独立峰(標高428m、比高約170m)の山頂に主郭が築かれていた。小幡氏は武蔵児玉党の流れを汲む一族で、平安時代末期に西上野に土着した国人である。南北朝時代には北朝方に属し、その後、関東管領の山内上杉氏が上野守護職を兼ねていたことから、他の西上野の国人衆と同様、その被官として組み込まれ、重臣となった。しかし、関東管領の上杉憲政が1546年(天文15)、川越城(埼玉県川越市)の戦いで北条氏康に大敗してその勢力を衰退させ、氏康の上野国侵攻により越後の長尾景虎上杉謙信)のもとに逃亡してしまったことから、小幡氏の当主の重定は、甲斐の武田晴信武田信玄)に通じるようになった。このため、武田氏の勢力が西上野に広がることを嫌った箕輪城の長野業政らが小幡重定を追放し、一族の小幡景定を城主とした。しかし、1561年(永禄4)、武田氏は国峰城を奪い、重定を再び城主として入城させて上野攻略の拠点とした。以降、小幡信実(重定改)は、武田の一翼として赤備えの騎馬軍団を率いて活躍したことはよく知られている。武田氏滅亡後は織田氏の城となったが、小幡氏は北条氏を頼って逃れ、本能寺の変後に上野から織田氏(滝川一益)の勢力が一掃されると、小幡信定(信真)が城主として入城し、北条方の城となった。1590年(天正18)の豊臣秀吉小田原北条氏攻め(小田原の役)では、城主の信定は小田原城に籠城し、子の信秀が国峰城を守ったが、前田利家を総大将とする秀吉の北国勢(藤田信吉)に攻められて落城し、その後廃城となった。上信電鉄上州富岡駅から車。

出典|講談社
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