精選版 日本国語大辞典 「国際通信」の意味・読み・例文・類語
こくさい‐つうしん【国際通信】
- 〘 名詞 〙 国際条約にもとづいて、諸国間に電信・電話など、有線または無線によって行なわれる通信。
異なった国相互間で、有線、無線、その他の電磁的手段により、音声、データ、映像などの情報を送り、伝え、受けることをいう。国際通信が円滑に行われるためには、技術上および通信取扱い上の各種の国際的な取決めが必要である。国際的取決めには、国際電気通信連合International Telecommunication Union(ITU)、国際電気通信衛星機構International Telecommunications Satellite Organization(ITSO)、国際移動通信衛星機構International Mobile Satellite Organization(IMSO)などの国際機関の条約、協定、規則、勧告、運用協定や、2国間あるいは多国間の協定などがある。
[高橋陽一]
実用的な電信機の発明者は、イギリスのウィリアム・クックとチャールス・ホイートストン、そしてアメリカのサミュエル・モース(モールス)とされている。クックとホイートストンの電信機は1837年に特許が認められ、イギリスの鉄道電信として実用化された。同年、モースもモールス式電信機を発明した。1845年には、アメリカのワシントンとボルティモア間にモールス式電信機による有線電信が建設された。最初の国際電信は、1849年にプロシアとオーストリアとの間で電信条約に基づき開始された。1865年にはパリで万国電信連合条約が調印され、国際電気通信を扱う初の国際機関である万国電信連合International Telegraph Union(国際電信連合ともいう)が誕生した。日本は1879年(明治12)、同連合に加盟した。国際間の海底電信は、1850年、ドーバー海峡に海底ケーブルを敷設したのが始まりとされており、1866年には大西洋横断電信ケーブルが完成し、イギリスとアメリカとの間で国際電信が開始された。
一方、無線通信の分野では、イタリアのグリエルモ・マルコーニが1895年に無線電信機を発明した。彼はイギリスに渡り、次々と実験を行って、1901年には大西洋横断の無線通信実験に成功した。これが契機となり、無線通信は急速に発展し、国際通信のなかで重要な役割を果たしていく。1906年には国際無線電信連合International Radiotelegraph Unionが設立された。そして、第一次世界大戦後の1932年、万国電信連合と国際無線電信連合は合併し、国際電気通信連合International Telecommunication Union(ITU)が設立された。このときの加盟国数は72であった。その後、第二次世界大戦後の1947年、国際電気通信連合は国際連合の専門機関となる。
電話については電信よりも発展の歴史は遅く、1860年、ドイツの科学者フィリップ・ライスJohann Phillip Reis(1834―1874)が電線を使って音声を伝える方法を発明し、電話時代の幕を開ける。その後、1876年にアメリカのグラハム・ベルが現在の電話機の原型となる機械を発明し、電話は急速に広まっていく。1927年には、イギリスとアメリカとの間で国際無線電話が実現した。同軸海底ケーブルによる電話伝送は、1956年、イギリス―アメリカ間に敷設された大西洋横断海底同軸ケーブルが最初である。
[高橋陽一]
日本の国際通信は、1871年(明治4)にその第一歩が記された。長崎―上海(シャンハイ)間、長崎―ウラジオストク間の海底電信ケーブルがデンマークの大北(たいほく)電信会社により敷設され、中国、香港(ホンコン)、シンガポールや、ロシア、ヨーロッパ、さらにはアメリカとの間で国際通信が可能になった。1915年(大正4)には、北海道の落石(おちいし)とロシアのペトロパブロフスク間で、長波による無線通信が始まった。翌年には、千葉県の船橋とハワイのカフク間で開始され、次々と無線による国際電信回線が開かれていった。1928年(昭和3)には、日米間に短波による国際電信が開始された。
日本最初の国際電話は、1934年、マニラ(フィリピン)との間で開始され、その後、バンドン(インドネシア)、サンフランシスコ、ロンドン、ベルリンと次々に回線が設けられていった。太平洋戦争直前の1941年には、国際電信33回線、国際電話13回線、さらに国際写真電送4回線を保有するまでになった。終戦時には、日本の国際通信は壊滅に近い状態となり、しかも連合国最高司令部(GHQ)の管理下に置かれた。1951年(昭和26)のサンフランシスコ講和条約の締結により、日本の独立が国際的に認められる。1953年には、国際電信電話株式会社法に基づき、日本電信電話公社から国際通信部門が分離され、国際電信電話株式会社(KDD。現在のKDDI)が民営企業として設立される。以降、KDDは、日本の国際電気通信サービスを一手に取り扱うこととなった。KDDは、民営の長所を生かして第二次世界大戦後の国際通信の復興、経済成長時代の広帯域通信回線網の建設・整備、国際化時代の新技術・新サービスの導入を行い、日本の国際電気通信事業を隆盛に導いた。
[高橋陽一]
国際中継交換機と国際伝送路からなる国際通信網は、異なる国の国内通信網相互間を結合する役目を果たすものである。国際通信網における重要な伝送路は、海底ケーブルと衛星通信回線である。
1964年(昭和39)、日米間初の同軸海底ケーブル「第1太平洋横断ケーブル(TPC-1)」(電話回線128回線)が開通した。1989年(平成1)には太平洋初の光海底ケーブル「第3太平洋横断ケーブル(TPC-3)」(伝送容量560Mbps=メガビット毎秒)が開通し、これ以降、光ケーブルが海底ケーブルの主流となり、その開発の進展とともに回線容量は飛躍的に増大し、より高速で高品質な通信が可能となった。光ケーブルは、電話以外にもインターネットをはじめとするマルチメディア通信にも利用されるようになった。1995年には日米間をループ状に結ぶ「第5太平洋横断ケーブルネットワーク(TPC-5CN)」(10Gbps=ギガビット毎秒)が、また1999年にはインド洋を経由して日本―ヨーロッパ間を結ぶ「SEA-ME-WE3ケーブルネットワーク」(40Gbps)が開通。その後波長分割多重wavelength division multiplexing(WDM)技術の採用等により伝送容量はさらに増大し、2000年(平成12)には「China-USケーブルネットワーク」(80Gbps)が開通。2001年には「Japan-USケーブルネットワーク」(400Gbps)が、そして2010年には日米間光海底ケーブル「Unity(ユニティ)」(4.8Tbps=テラビット毎秒)が運用を開始した。
一方、日本の衛星通信は、1963年の日米間初のテレビ衛星中継実験によりその幕を開け、1967年には日米間で、1969年には日欧間で、衛星通信サービスが開始された。商業用通信衛星は、インテルサットが需要予測に基づいて計画的に打上げを行っている。2010年末時点で、使用中のインテルサット衛星は27機、1400以上の衛星通信所を通じて、200以上の国・地域を結んでいる。海事衛星通信に関しては、1979年に国際海事衛星機構(INMARSAT(インマルサット))が設立され、1982年からインマルサット・システムにより、本格的な船舶通信が始まった。その後、船舶のみならず、航空機や陸上移動体にもサービスを提供することになったことから、1994年に国際移動通信衛星機構(IMSO)に改称。さらに事業部門を民営化し、1999年からは民間会社としてのインマルサットがインマルサット・システムの運用と通信回線の提供を行うようになった。1990年代後半以降、可搬型地球局の小型化により、通信設備が未整備の地域でもインマルサットによる音声・データ通信サービスが行われるようになっている。日本ではKDDIが、一般の商用通信および移動体衛星通信のために、山口衛星通信センター(山口県山口市。2002年に山口衛星通信所から改称)を運用し、太平洋上およびインド洋上の通信衛星を使用している。以前は、茨城衛星通信センター(茨城県高萩(たかはぎ)市。2002年に茨城衛星通信所から改称)でも運用されていたが、2007年3月に同センターが閉所され、山口衛星通信センターに統合された。その他、66機の低軌道衛星を使用するイリジウムや、ロシアを中心とする衛星通信機構であるインタースプートニク、民間の商業衛星なども利用されている。1990年代後半以降、光海底ケーブルの伝送容量の飛躍的増大や衛星通信特有の伝送遅延のために、光海底ケーブルの利用が主流となり、衛星通信は補完的に利用されるようになっている。
[高橋陽一]
日本の国際通信事業は、1871年(明治4)に海底電信ケーブルにより始められ、大正時代に入って無線通信が台頭してきたが、急速に無線局の建設を進めるには民間の資金を導入する必要があり、1925年(大正14)に日本無線電信株式会社が設立された。1932年(昭和7)には、国際無線電話を扱う国際電話株式会社が設立されたが、その後、1938年に両社は合併して国際電気通信株式会社となった。ただし、設備の運用は明治以来、終始、政府にゆだねられていた。
第二次世界大戦後の1947年(昭和22)、国際電気通信株式会社はGHQの指令により解散させられ、日本の国際通信はGHQの管理下に置かれ、設備財産は逓信(ていしん)省に吸収される。その後、国際通信の運営は、1949年からの電気通信省時代を経て、1952年に設立された日本電信電話公社へ引き継がれた。翌年の1953年には国際電信電話株式会社法に基づき、日本電信電話公社から国際通信部門が分離され、国際電信電話株式会社(KDD)が民営企業として設立、以降、日本の国際電気通信サービスを一手に取り扱うこととなった。
1985年、日本の電気通信市場への競争原理導入に伴い、いわゆる電電改革三法が施行された。日本電信電話公社が民営化されて日本電信電話株式会社(NTT)となるとともに、電気通信事業者の新規参入が可能となった。翌1986年、日本国際通信株式会社(ITJ)、国際デジタル通信株式会社(IDC)が国際通信事業者として設立される。その後、ITJは日本テレコム株式会社と合併(1997)、IDCはイギリスのケーブル・アンド・ワイヤレス(C&W)の資本参加により、ケーブル・アンド・ワイヤレスIDC株式会社に社名を変更する(1999)。KDDは、1998年(平成10)に日本高速通信株式会社と合併し、KDD株式会社となり、さらに2000年(平成12)10月には第二電電株式会社(DDI)、日本移動通信株式会社(IDO)と合併し、株式会社ディーディーアイ(通称KDDI)となった。1999年7月には、NTTの再編成が実施され、持株会社の下に、東西の地域通信会社と、長距離・国際通信を行うNTTコミュニケーションズ株式会社が営業を開始した。なお、ディーディーアイは2001年4月社名をケイディーディーアイに、さらに2002年11月にはKDDIと変更した。その後も業界再編の流れは続き、2004年に日本テレコム、ケーブル・アンド・ワイヤレスIDC(2005年日本テレコムIDCとなる)がソフトバンク傘下となり、翌2005年両社は合併(存続会社は日本テレコム)、2006年にソフトバンクテレコムと社名変更した。
[高橋陽一]
国際通信には各種の多彩なサービスがある。KDDIが提供している国際通信サービスには、国際電話サービス、国際ISDNサービス、インマルサットサービス、FR(フレームリレー)・CR(セルリレー)サービス、インターネット・ゲートウェイサービス、国際専用線サービス、グローバルIP-VPN(Global IP-VPN)サービス、国際マネージドサービス、映像伝送サービス(テレビジョン伝送)、国際電報サービスなどがある。
[高橋陽一]
『石原藤夫著『国際通信の日本史――植民地化解消へ苦闘の九十九年』(2008・栄光出版社)』
異なった国または地域との間で,有線,無線,光線その他の電磁的手段により,文字,符号,音響,映像などの情報を送り,伝え,または受けることをいう。国際通信が円滑に行われるためには,技術上および通信取扱上の各種の国際的取決めが必要である。国際的取決めには,国際電気通信連合(ITU),国際電気通信衛星機構(INTELSAT(インテルサツト))などの国際機関の条約,協定,規則,勧告,運用協定および2国間または多国間の協定などがある。日本の国際通信は法律に基づいて設立された国際電信電話(KDD)が,1953年以来,業務提供を行っていたが,1985年の電気通信事業法の制定により新規参入が認められた結果,88年より日本国際通信株式会社(ITJ)および国際ディジタル通信株式会社(IDC)も国際通信業務を提供することとなった。さらに,97年から,法制度上,国内通信と国際通信との間の垣根が撤廃され,これまで国内通信業務を提供してきた各社も国際通信業務に進出することが可能になった。
1834年のアメリカ人S.F.B.モースによる電信機の発明後,イギリスでは37年に鉄道沿線で有線電信が実用化され,アメリカでも45年にワシントンとボルチモア間に電信線路が建設されたが,最初の国際電信は,49年にプロシアとオーストリアとの間で電信条約に基づき始められた。65年にはパリ会議が開かれ万国電信連合が誕生した。国際海底電信は,1850年,ドーバー海峡にイギリス・フランス間の海底線を敷設したのが始まりとされており,欧米大陸間も66年に海底線で結ばれた。日本の国際電信は,71年(明治4)に上海~長崎間,長崎~ウラジオストク間の海底線がデンマークのグレート・ノーザン電信会社により敷設され,ヨーロッパとの間で可能となった。また万国電信連合には79年に加入した。一方,無線通信は,イタリアのG.M.マルコーニが96年イギリスに渡り,次々に実験を行って1901年には長波により大西洋横断の無線通信実験に成功したことが契機となり急速に発展し,国際無線電信連合が06年に設立された。第1次世界大戦後,32年に至り万国電気通信連合と国際無線電信連合の合併が実現し,ITUが設立された。第2次大戦後,ITUは国際連合の専門機関となった。大戦後の国際通信の発展は目覚ましく,短波通信の全盛期を経て,広帯域伝送時代を迎えた。56年には,最初の大西洋横断海底同軸ケーブルが英米間に敷設され,ケーブルによる電話伝送が可能となった。日米間には64年に海底同軸ケーブルが開通し,東京オリンピックの報道通信に威力を発揮した。衛星通信が67年より商用化され,国際通信は,ケーブルと衛星の二つの主要伝送手段を有することとなった。なお,その後,衛星通信の分野では,82年以降船舶を対象とする海事通信が,89年以降航空機を対象とする航空移動通信が,97年からはさらに陸上移動通信業務が開始されている。
国際中継交換機と国際伝送路からなる国際通信網は,異なる国の国内通信網相互間を結合する役目を果たすものである。一般に国内通信網は上位局,下位局関係に基づくハイアラーキを有するのに対し,国際通信網は,原則として各国の交換局を対等に位置づける非ハイアラーキ網の性格を有する。国際交換局は,ITUの常設機関である電気通信標準化部門(ITU-T)が定める国際標準信号方式により,互いに制御情報を送受信する。国際通信網における主要な伝送路は,海底ケーブルと衛星通信回線である。そのほかに短波や散乱波も使用されるが,その回線数はごく少ない。
主要伝送手段の一つである海底光ファイバーケーブルは,大西洋,太平洋,インド洋の各大洋に縦横に張り巡らされている(図)。海底光ファイバーケーブル方式は,2~6対の光ファイバーを収容した1条のケーブルと,数十km間隔に挿入された光信号増幅用の海底中継器により構成される伝送方式である。各ファイバー中をギガビット級の高速ディジタル信号を通すことにより,双方向に10万回線以上の回線容量(64キロビット/秒の電話回線に換算)をとることができる。最初の大洋横断光ファイバーケーブルは1988年に大西洋で実現され,翌89年には太平洋にも導入された。
商業用通信衛星は,インテルサットが需要予測に基づいて計画的に打上げを行っており,加盟国は1997年11月現在で142ヵ国,北極および南極地域を除く全世界200以上の国および地域にグローバルな通信サービスを提供している。現在使用中のインテルサット衛星は表に示すⅣ号,Ⅳ-A号,Ⅶ号,およびⅤ号のほか,Ⅷ号まで,シリーズ名で呼ばれる衛星が打ち上げられた。また,各家庭に直接テレビ放送をディジタル方式により配信するダイレクト・トゥー・ホーム(DTH)の需要が急速に伸びており,これに応えるための映像伝送専用のインテルサット-Kが打ち上げられている。また,アジア地域でのDTH需要をまかなうために1998年末にK-TVと呼ばれる衛星が計画されており,極東地域からインドにかけてのサービスを開始することが予定されている。
1982年に設立された国際海事衛星機構(INMARSAT(インマルサット))は船舶通信をはじめとした海上,陸上,および航空移動通信に大きな役割を果たしてきているが,近く,民間の株式会社に改組される可能性も出てきている。このほか,ユーテルサット,アラブサット等の地域衛星,あるいはパンナムサット等の民間衛星も参入し,この分野での競争も活発な様相を示している。
国際通信には各種の多彩なサービスがある。KDDが提供しているサービスは次のとおりであるが,IDC社ほか他社は国際電話サービスおよび国際専用線サービスの提供が中心である。国際電話,国際無線電話,国際テレックス,国際無線テレックス,国際電報,国際無線電報,国際航空業務報,国際専用回線,国際プレス・ブレティン,国際航空無線電話設備専用,国際航空無線データ設備専用,国際テレビジョン伝送,国際テレビジョン長期サービス,国際音声放送伝送,国際ディーリング情報伝送,国際テレビ会議,国際衛星多宛先回線,企業通信ネットワークサービス,個別システムサービス,国際公衆データ伝送,国際フレームリレー,インターネット国際ゲートウェイサービス,海事衛星電話,海事衛星テレックス,海事衛星パケットサービス,海事衛星高速データサービス,国際ファクシミリ通信,国際総合ディジタル通信,航空衛星通信。以上列挙したもののほか,情報社会の進展,ボーダーレス化の加速,インターネットを含むマルチメディアの普及に応じ,国際・国内を一体化した新しいサービスが次々に導入されることとなろう。
日本の国際通信事業は,1871年に海底電信ケーブルにより始められ,大正時代に入って無線通信が台頭してきたが,急速に無線局の建設を進めるには民間の資金を導入する必要があり,1925年に日本無線電信株式会社が創立された。32年には,国際電話無線設備を建設する国際電話株式会社が設立されたが,その後両社は合併して国際電気通信株式会社となった。しかし設備の運用は,明治以来,終始政府にゆだねられていた。第2次大戦後,国際電気通信株式会社は逓信省に吸収され,さらに49年からの電気通信省時代を経て,52年に日本電信電話公社が設立された。翌53年に国際電信電話株式会社(KDD)が電電公社から分離独立し,もっぱら国際通信事業を担当することになった。KDDは,民営の長所を生かして第2次大戦後の国際通信の復興,経済成長時代の広帯域通信回線網の建設・整備,国際化時代の新技術・新サービスの導入を行い,国際通信事業を隆盛に導いた。1985年に公衆電気通信法が廃止され,新たに電気通信事業法が施行された。これに伴い,電電公社が民営化され日本電信電話株式会社(NTT)に改組され,また多数の設備ベース事業者(第1種電気通信事業者)および付加価値通信事業者(第2種電気通信事業者)が誕生した。国際通信分野には前述のITJおよびIDCが第1種電気通信事業者として新規参入した。97年にはさらに規制緩和が進められ,国内通信事業,国際通信事業という事業区分が撤廃され,また98年からはNTTを除き外資の参入規制もなくなった。
諸外国における国際通信事業は,各国の歴史と伝統を反映して種々の運営形態をとっている。ヨーロッパ諸国および開発途上国では,国内・国際通信とも政府事業としてきたケースが多く,郵便,電信および電話を一元的に運用し,Post,Telegraph,Telephoneの頭文字をとってPTTと称されてきた。しかしサービス貿易の自由化を進める世界貿易機関(WTO)の方針および徹底した自由競争政策を貫いているアメリカの圧力により,それらの国々においても民営化や規制緩和が進められ,第2,第3の通信事業者が出現しているケースが増えつつある。アメリカでは1984年以来全土を7地域に分け,地域系の旧ベル系通信事業者と長距離(および国際)を担当する事業者と事業領域を分ける政策がとられてきたが,96年にアメリカ通信法の大改正が行われ,前述の事業領域の区分が原則的に撤廃され,電気通信と放送の融合までが認められることになった。今後,事業者間の合併や統合が進められると同時に,無線系や移動体通信による長距離事業者の地域網への進出や,逆に地域系事業者が国際や長距離通信分野へ進出する動きが加速化されるであろう。
執筆者:太田 亨
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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