園田郷(読み)そのたごう

日本歴史地名大系 「園田郷」の解説

園田郷
そのたごう

和名抄」高山寺本は「ソノタ」と片仮名で訓を付し、東急本は「曾乃」と訓ずる。「日本地理志料」は高山寺本の訓をとり「曾乃多」とする。一二世紀後半に園田御厨が置かれ、「玉葉」承安二年(一一七二)一一月一五日条以下、「経俊卿記」「三長記」「勘仲記」などに記される。延文五年(一三六〇)成立の「神鳳鈔」に「二宮 各四丈卅段 二百余町」とある。承安二年一二月に源(新田)義重が園田御厨に濫妨したという理由で、伊勢神宮の神主に訴えられ、朝廷は両者を対決させているので(「玉葉」同月一日条)、同御厨は新田につた庄に隣合った地と推定される。郷域について「日本地理志料」は現太田市北部の旧毛里田もりた村を中心に、桐生市南部および新田郡新田町東部に及ぶ地域とし、また「大日本地名辞書」は旧相生あいおい村・旧広沢ひろさわ(現桐生市)、旧毛里田村にあたるとするが、郷域ははっきりしない。


園田郷
そのたごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに訓を欠いているが、上野国山田やまだ郡に同名の郷があり、高山寺本は「ソノタ」、東急本は「曾乃」と訓ずる。この郷の所在地については遺存地名がないため明らかでない。「河内志」は星田ほしだ郷の誤字ではないかとし、「日本地理志料」もそれにしたがっているが、「大日本地名辞書」は「津田村氷室村菅原村等にあたる者のごとし」と、現枚方ひらかた市東部の津田つだ地区に求めている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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