土御門家(読み)つちみかどけ

百科事典マイペディア 「土御門家」の意味・わかりやすい解説

土御門家【つちみかどけ】

天文・暦数・陰陽(おんみょう)道を司る公家(くげ)。姓は安倍。平安中期の陰陽頭であった安倍晴明子孫で,室町時代の有宣(ありのぶ)の時から土御門家を称したらしく,家職の陰陽道は1870年の廃止まで続いた。戦国時代には勘解由小路(かげゆのこうじ)家が滅びんとしたので,一時暦術を兼ねた。宮中陰陽寮の執奏を掌握し,諸国の天文・暦道・天社神道・陰陽家をその支配下においた。
→関連項目陰陽師

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「土御門家」の意味・わかりやすい解説

土御門家
つちみかどけ

平安時代以来、天文、陰陽(おんみょう)両道朝廷に仕えた家系。左大臣阿倍倉梯麻呂(くらはしまろ)の子孫安倍晴明(あべのせいめい)が大膳大夫(だいぜんのだいぶ)、天文博士(はかせ)となって以来、子孫代々その業を伝え、天変地異あるごとに朝廷、幕府に警告した。戦国時代に勘解由小路在富(かでのこうじありとみ)が死んで暦術家が絶えたとき、詔により土御門有修(ありなが)が天文・暦術博士を兼ね、以後同家は両博士を兼ねることになった。子孫は相次いで明治に至り、華族に列し子爵を授けられた。

[多賀宗隼]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土御門家」の意味・わかりやすい解説

土御門家
つちみかどけ

公家。孝元天皇の後胤といわれる左大臣阿倍倉梯麿の 10代目晴明 (921~1005) を始祖とするといわれる。代々天文,暦道,陰陽道で朝廷に仕え,国家の変事などを占って家名をあげた。明治になって子爵。

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世界大百科事典(旧版)内の土御門家の言及

【陰陽師】より

…江州甲賀では竈祓(かまばらい)を業とする声聞(しようもん)師の陰陽師集団が活躍し,大和では山伏形の陰陽師が読んだ牛頭天王(ごずてんのう)の祭文が残っている。江戸初期,土御門(安倍)家が復興されたとき,摂津,河内,若狭方面の同家従者たちは歴代組を結成し,その中に総目付役,横目付役,能頭,組頭,小頭等の序列をつくり,朝廷の陰陽道祭である天曹地府祭に具官として奉仕した。1683年(天和3)土御門泰福のとき,同家には全国の陰陽師を統轄して免許を与える権限が朝廷より与えられ,造暦のことも同家の支配下に入った。…

【陰陽道】より

…室町初期には賀茂在方が《暦林問答集》を著した。戦国期に賀茂家嫡流は絶え,土御門(安倍)家も秀吉に追放されていったん没落したが,江戸期に入って復興され,ついで後水尾朝に賀茂家は支流幸徳井氏によって復興された。暦は長らく中国のものに依存し,元嘉,儀鳳,大衍(たいえん),宣明の諸暦が用いられたのち,ようやく江戸期に渋川春海のつくった貞享暦,ついで西洋流暦法による天保暦と改まり,1870年(明治3)陰陽寮の廃止とともに太陰暦もやめられ,官制の陰陽道はここに終止符を打った。…

【天文道】より

…これを天文密奏という。平安時代中期以降,天文道は陰陽道とともに安倍氏(土御門家)の世襲となり,明治維新に至った。明治政府は旧式の天文道に代わり近代的な西洋天文学を採用した。…

【久我家】より

…すなわち賢子の兄雅実は太政大臣に昇り,後に家祖と仰がれたが,京都の南郊久我(古我・木賀ともあり)に邸宅を有し〈久我太政大臣〉と称されたのが家名の由来である。鎌倉時代初期に権勢を得た通親の男通具が堀河家を,定通が土御門(つちみかど)家を,通方が中院(なかのいん)家を,孫通有が六条家を興した。さらに江戸時代に入り晴通の孫具起が岩倉家を,有能が千種家を,通堅の孫通廉が東久世家を,また敦通の男通式が久世家を,孫季通が梅渓家を興し,千種有能の男雅永が植松家を興すなど,庶流の家も多い。…

※「土御門家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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