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坊門忠信 ぼうもんただのぶ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

坊門忠信
ぼうもんただのぶ

[生]文治3(1187).京都
[没]?
鎌倉時代初期の公卿。権大納言,正二位。内大臣信清の子。七条院藤原殖子の甥,妹2人は後鳥羽上皇順徳天皇の後宮に入ったため蔵人頭として権勢をふるった。承久の乱には宇治に出陣し,関東の軍勢を迎え撃ったが,敗れて捕えられ越後国に流された。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

坊門忠信 ぼうもん-ただのぶ

1187-? 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
文治(ぶんじ)3年生まれ。父は坊門信清(のぶきよ)の子。母は藤原定能(さだよし)の娘。伯母の七条院が後鳥羽(ごとば)天皇の生母,姉妹が後鳥羽・順徳両天皇の女官と将軍源実朝(さねとも)の室であったため,建保(けんぽ)6年正二位,権(ごんの)大納言にすすむ。承久(じょうきゅう)の乱では宇治で幕府軍に敗れて関東におくられ,出家。のち越後(えちご)(新潟県)に配流され,寛喜(かんぎ)2年京都にかえった。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

坊門忠信

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:文治3(1187)
鎌倉前期の公卿。権大納言正二位。後鳥羽上皇の外戚として権勢を振るった内大臣坊門信清と権大納言藤原定能の娘との子。自身も後鳥羽上皇や伯母七条院の側近となった。妹(西八条殿)が鎌倉幕府の将軍源実朝の妻となったことから幕府と親密で,承久1(1219)年1月,鶴岡八幡宮で催された実朝の右大臣拝賀の儀式に参列し,実朝が暗殺されるのをまのあたりにした。同3年の承久の乱に際しては,院方の大将軍として宇治で幕府軍と交戦。敗れて幕府に捕らえられ関東に下されたが,西八条殿が北条政子に赦免を願い出たことによって斬刑を許され,帰京して出家。同年8月,幕府により越後(新潟県)に配流された。のち許されて京に戻り,太秦に住んだ。暦仁1(1238)年,将軍藤原頼経が上洛した折,忠信は承久の乱後の措置に報いるため,執権北条泰時に会見を求めたが,泰時はこれを辞退した。なお後鳥羽上皇の命により,院近臣で同門の信成を養子としたが,承久の乱後,信成は水無瀬家を興した。

(秋山喜代子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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