堅来村(読み)かたくむら

日本歴史地名大系 「堅来村」の解説

堅来村
かたくむら

[現在地名]香々地町堅来

小池こいけ村の南西方に位置し、北西部は周防灘に臨む。堅来川が流れ、国東道が通る。中世香々地庄のうちとしてみえる。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、夷忠兵衛手永の御蔵納分として高二七石余で、家数五のうち本百姓二・牛屋二・鍛冶一、人数は男六・女五、牛二。加子分として高五六石余で家数二〇のうち本百姓・小百姓六、隠居・庭屋・名子・牛屋一二、男女三四、牛四。また給人遠坂越後の知行分として高二七七石余とあり、家数七二のうち本百姓・小百姓二七、隠居・名子・庭屋・牛屋四四、男六九(うち名子六)・女四九、馬一・牛二七。


堅来村
かたくむら

[現在地名]国東町東堅来ひがしかたく

富来とみく村の北方に位置し、伊予灘に臨んで塩屋しおやの集落がある。永享二年(一四三〇)一二月九日の大友持直安堵状案(富来文書)に「富久浦・同加多久」とみえ、富久彦三郎に安堵されている。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、細川忠隆の領分として三五〇石余、家数五四のうち本百姓・小百姓一四、隠居・名子・庭屋・牛屋など三八、大工一、男四七(うち名子八)・女四四、牛一一・馬三。正保郷帳では富来庄に属し、田高一四九石余・畑高六七石余で、新田が開かれ、茅山・柴山・竹山がある。天保郷帳では高三九七石余。延宝七年(一六七九)の塩浜土免定(封事太宗)では下浜(一反当り塩年貢一石五斗)となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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