塩野季彦(読み)シオノ スエヒコ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「塩野季彦」の解説

塩野 季彦
シオノ スエヒコ


肩書
法相,大審院次長検事,東京地裁検事正

旧名・旧姓
旧姓=山寺

生年月日
明治13年1月1日

出生地
長野

学歴
東京帝大法科大学独法科〔明治39年〕卒

経歴
明治41年検事となり、大阪・東京各区裁判所検事、司法参事官、東京控訴院検事、司法省行刑局長、名古屋控訴院検事長、昭和11年大審院次長検事を歴任。この間、シーメンス事件、3.15事件、4.16事件、東京市会疑獄事件などに携わる。12年林内閣、第1次近衛内閣、14年平沼内閣の3代にわたり法相を務め、14年の一時逓相を兼任した。同年8月下野して日本法理研究会を創設、主宰し、戦時司法体制のイデオロギー作りに当たった。

没年月日
昭和24年1月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「塩野季彦」の解説

塩野 季彦
シオノ スエヒコ

明治〜昭和期の検察官 法相;大審院次長検事;東京地裁検事正。



生年
明治13(1880)年1月1日

没年
昭和24(1949)年1月7日

出生地
長野県

旧姓(旧名)
山寺

学歴〔年〕
東京帝大法科大学独法科〔明治39年〕卒

経歴
明治41年検事となり、大阪・東京各区裁判所検事、司法参事官、東京控訴院検事、司法省行刑局長、名古屋控訴院検事長、昭和11年大審院次長検事を歴任。この間、シーメンス事件、3.15事件、4.16事件、東京市会疑獄事件などに携わる。12年林内閣、第1次近衛内閣、14年平沼内閣の3代にわたり法相を務め、14年の一時逓相を兼任した。同年8月下野して日本法理研究会を創設、主宰し、戦時司法体制のイデオロギー作りに当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「塩野季彦」の意味・わかりやすい解説

塩野季彦
しおのすえひこ

[生]1880.1.1. 長野
[没]1949.1.7. 東京
司法官僚。東京帝国大学卒業後,司法界に入り,大阪地方裁判所,東京地裁各検事,司法参事官,東京控訴院検事,名古屋控訴院検事長などを経て大審院検事に昇進。この間,三・一五事件四・一六事件では司法相原嘉道,内務省警務保局長山岡万之助らとともに共産党員大検挙の指揮にあたった。司法界の巨頭平沼騏一郎片腕といわれ,林内閣,第1次近衛内閣では司法相に就任し,続く平沼内閣では司法相兼逓信相をつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塩野季彦」の解説

塩野季彦 しおの-すえひこ

1880-1949 明治-昭和時代の司法官,政治家
明治13年1月1日生まれ。検事として三・一五事件,五私鉄疑獄事件などを担当。大審院次長検事などをへて,林・第1次近衛・平沼内閣の法相。昭和14年辞任後,日本法理研究会などを主宰し,戦時の司法体制に影響をあたえた。昭和24年1月7日死去。70歳。東京出身。東京帝大卒。旧姓は山寺。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「塩野季彦」の解説

塩野 季彦 (しおの すえひこ)

生年月日:1880年1月1日
明治時代-昭和時代の検察官;政治家。法相;大審院次長検事
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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