塩野義三郎(読み)シオノ ギサブロウ

20世紀日本人名事典 「塩野義三郎」の解説

塩野 義三郎(2代目)
シオノ ギサブロウ

明治〜昭和期の実業家 塩野義製薬社長。



生年
明治14(1881)年11月15日

没年
昭和28(1953)年10月3日

出生地
大阪府大阪市道修町

旧姓(旧名)
塩野 正太郎

学歴〔年〕
大阪高商(現・大阪市立大学)〔明治35年〕卒

主な受賞名〔年〕
デミング賞(実施賞)〔昭和27年〕

経歴
父・初代義三郎の薬問屋・塩野義商店に入り、大正9年株式会社に改組、取締役となり、10年正太郎改め義三郎を襲名、社長となった。徒弟制度廃止新薬を発売、昭和18年塩野義製薬に改称した。戦後、23年から全社的な合理化に着手、27年には総合ビタミン剤のポポン錠(のちポポンS錠)を発売し知名度を高めた。日本医薬品配給統制会社社長、日本製薬団体連合会会長、医薬品販売協会会長、薬事振興会理事長、日本化学工業協会理事なども務めた。


塩野 義三郎(1代目)
シオノ ギサブロウ

明治・大正期の実業家 塩野義商店社長。



生年
嘉永7年3月17日(1854年)

没年
昭和6(1931)年12月29日

出生地
大阪府大阪市

別名
別名=義一

経歴
大坂・道修町で薬種問屋を営む家に生まれる。明治11年分家して塩野義三郎商店を設立、19年から西洋薬種の輸入を開始。21年大阪相生町の工場を拠点として製薬業も兼ねるようになり、のちには大日本製薬の製品販売部門を担当した。43年には塩野製薬所を開設、東京帝大で薬学を修めた二男・長次郎に新薬の開発に当たらせた。大正8年営業部門と製薬所を合併させ、塩野義商店に改組し社長に就任。9年引退し、長男に義三郎の名を譲り、義一を称した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「塩野義三郎」の解説

塩野義三郎(2代) しおの-ぎさぶろう

1881-1953 明治-昭和時代の実業家。
明治14年11月15日生まれ。初代塩野義三郎の長男。父の経営する塩野義三郎商店にはいる。大正4年東京帝大の近藤平三郎所長にむかえ,東京に乙卯(いつう)研究所を設立。9年塩野義商店社長に就任し,新薬の開発と経営の近代化につとめる。昭和18年塩野義製薬と社名を変更。昭和28年10月3日死去。71歳。大阪出身。大阪高商(現大阪市立大)卒。初名は正太郎。

塩野義三郎(初代) しおの-ぎさぶろう

1854-1931 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)7年3月17日生まれ。生家は大坂道修(どしょう)町の薬種問屋。明治11年分家して塩野義三郎商店を創立。のち洋薬をとりあつかい,大日本製薬の製品販売を開始する。43年塩野製薬所をもうけ,新薬を開発。大正8年製薬所を合併し,塩野義商店(現塩野義製薬)に改組し,会社の基礎をかためた。昭和6年12月29日死去。78歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「塩野義三郎」の解説

塩野 義三郎(初代) (しおの ぎさぶろう)

生年月日:1854年3月17日
明治時代;大正時代の実業家;薬品業者。塩野義商店社長
1931年没

塩野 義三郎 (しおの ぎさぶろう)

生年月日:1881年11月15日
大正時代;昭和時代の実業家。塩野義製薬社長
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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