大下村(読み)おおげむら

日本歴史地名大系 「大下村」の解説

大下村
おおげむら

[現在地名]関前村大下・小大下こおおげ

高縄たかなわ半島の先端、現波方なみかた大角鼻おおすみのはなの北方海上約四キロにある大下島と、その属島小大下島の一部からなっている。東は大三おおみ島、西は岡村おかむら島、北は現広島県大崎上おおさきかみ島に相対する。大下島は面積一・五平方キロで、東南に山を負い、集落西北の湾入部に立地している。大下・小大下両島の間の大下瀬戸おおげのせとは、瀬戸内海の主航路にあたり、巨船往来が頻繁である。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)越智郡の項に「太下村 日損所、芝山有」とみえ、村高は六七石六斗二升六合である。


大下村
おおしもむら

[現在地名]八尾町大下

野積のづみ川の支流仁歩にんぶ川流域岸にある仁歩谷最北の村。大下仁歩おおしもにんぶ村ともよぶ。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では下仁歩村の二町ほど北にある枝村新田として大下仁部村とみえ、高五〇石。幕末の高も同じで免四ツ七歩(古高免小物成銀等書上)


大下村
おおさがりむら

[現在地名]三日月町大下

三尾みつお村の西、屈曲する谷川に沿う狭い谷間に立地する。両側は標高三〇〇メートル以上の山地である。西は奥多賀おくたが(現南光町)。元禄年間(一六八八―一七〇四)までに三尾村から分立して成立


大下村
おおしもむら

[現在地名]新井市大下

通称東関ひがしせき山の北西山麓、せき川右岸の丘陵地帯で、関川から用水堰により灌漑し、北の横山よこやま村、南の東関村に接する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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