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大久保彦左衛門 おおくぼひこざえもん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大久保彦左衛門
おおくぼひこざえもん

[生]永禄3(1560).小田原
[没]寛永16(1639).2.1. 江戸
江戸時代初期の旗本。忠員の8男に生れ,初め忠雄,のち忠教 (ただたか) ,字は平助。天正4 (1576) 年 16歳の初陣に戦功をあげ旗本に列せられ,以来徳川家康に仕えて功績があった。大名になることを固辞し,「天下の御意見番」として家康の諮問にこたえたという。のち,秀忠,家光に仕え,戦国時代生残りの勇士として旗本のなかに重きをなした。その著『三河物語』 (3巻,1622) はいわゆる三河武士の精神を典型的に示したもの。禄高は三河額田郡に 2000石。邸跡が東京都千代田区神田駿河台にある。 (→一心太助 )

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デジタル大辞泉の解説

おおくぼ‐ひこざえもん〔おほくぼひこザヱモン〕【大久保彦左衛門】

[1560~1639]江戸初期の旗本。本名は忠教(ただたか)。徳川家康秀忠家光の3代に仕え、三河に2千石を領した。その知略奇行に関する多くの逸話がある。著「三河物語」。

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百科事典マイペディアの解説

大久保彦左衛門【おおくぼひこざえもん】

江戸初期の旗本。名は忠雄,のち忠教(ただたか)。1576年初陣以来軍功多く,徳川家康・秀忠・家光3代に仕え,戦国の勇士として旗本間に重きをなす。著《三河物語》は主君に対する自家の功績を晦渋(かいじゅう)な文筆懐旧する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大久保彦左衛門 おおくぼ-ひこざえもん

1560-1639 織豊-江戸時代前期の武士。
永禄(えいろく)3年生まれ。大久保忠員(ただかず)の8男。徳川家康のもとでおおくの合戦にしたがう。徳川秀忠,家光の3代につかえ,戦国生き残りの勇士として旗本中で重きをなした。反骨と奇行で知られ,講談では「天下の御意見番」としてしたしまれた。寛永16年2月1日死去。80歳。三河(愛知県)出身。名は忠雄,忠教(ただたか)。通称は別に平助。著作に「三河物語」。
【格言など】御知行下されずとても,御主様に御不足に思い申すな。過去の定業なり(「三河物語」)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおくぼひこざえもん【大久保彦左衛門】

1560‐1639(永禄3‐寛永16)
江戸初期の旗本。通称平助,のち彦左衛門。初名忠雄のち忠教(ただたか)。16歳のとき徳川家康に仕え,諸合戦では長兄忠世に属し奮戦した。彦左衛門は終始,忠世・忠隣(ただちか)父子に従属し,一個の軍団を率いる部将ではなかった。関東入部後,忠隣の所領武蔵国埼玉郡2000石を知行。彦左衛門の人物については次の2例を示す。兄忠佐が無嗣のため沼津城2万石を彦左衛門に継がせようとしたところ,自身の軍功で得た領知でないからと辞退したという。

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大辞林 第三版の解説

おおくぼひこざえもん【大久保彦左衛門】

1560~1639) 江戸初期の幕臣。名は忠教ただたか。家康・秀忠・家光の三代に仕える。著「三河物語」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大久保彦左衛門
おおくぼひこざえもん

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世界大百科事典内の大久保彦左衛門の言及

【三河物語】より

…江戸幕府の旗本大久保彦左衛門忠教が子孫に書き残した自伝。上中下の3巻から成る。…

※「大久保彦左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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