改訂新版 世界大百科事典 「大元帥法」の意味・わかりやすい解説
大元帥法 (だいげんのほう)
大(太)元帥は大元帥明王のこと。帥の字は読まないのが例。《続日本後紀》の840年(承和7)に,入唐の僧伝灯大法師位常暁が山城国宇治郡法琳寺に大唐より持ってきた太元帥の霊像を安置し,その秘法を伝えたという。常暁が小栗栖(おぐるす)法琳寺(あるいは大和国秋篠寺とも)の閼伽井の井戸に大元帥明王の像が出現したのを写し持って入唐し,唐にて鎮護国家の法を受け,日本に伝えたともいう。国家安穏や怨敵を調伏する威力のあるものといわれ,文徳天皇の851年(仁寿1)治部省において正月8日より7日間行われたのをはじめとして,恒例となった。天皇の御衣を箱に入れ,緋の綱で結び,蔵人が封をして治部省でお祈りをし,結願の日にもとへ返上する。恒例のほか敵国降伏のためなどで,臨時に行うこともあった。秘法のため,朝廷のみで行うものであったが,藤原伊周が,ひそかに行い,その結果,大宰権帥となり,配流されたことは長徳の変として有名である。12世紀中ごろから醍醐寺理性院院主が代々法琳寺別当を兼帯するようになり,また法琳寺退転後の室町以降は唯一理性院で継承された。
執筆者:山中 裕
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報