日本歴史地名大系 「大島庄」の解説
大島庄
おおしまのしよう
- 愛媛県:越智郡
- 大島庄
越智郡大島に存在した京都醍醐寺領の荘園。成立事情は明らかではないが、平安時代末期には、本家職は鳥羽上皇、領家職は中院家の領有するところであった。大治三年(一一二八)伊予の国衙が、官使らを派遣し、示を打って荘域を定めた時には、荘内の
鳥羽上皇は、一品宮すなわち第一皇女嬉子内親王が、長承二年(一一三三)若くして逝去したので、その遺骨を山城醍醐寺円光院の仏壇の下に納め、その菩提のため、供僧六口を置き、円光院内の廊御堂で、毎日阿弥陀供養を行わせた。
大島庄
おおじまのしよう
- 新潟県:長岡市
- 大島庄
信濃川自然堤防上に立地した現長岡市街を中心とする庄園。初見は藤原摂関家の家政機構と年中行事をまとめて元永元年(一一一八)から保安二年(一一二一)の間に成立したと考えられている「執政所抄」で、四月の条に「漆五升、御倉町、大島御庄下」とある。賀茂詣の際の神宝を作るために漆を供出しており、摂関家領であった。その後当庄は関白藤原忠実から娘高陽院に与えられた。仁平二年(一一五二)一二月、高陽院は逆修を修し、八月に僧侶らに出す食事を
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報