日本歴史地名大系 「大川神社」の解説
大川神社
おおかわじんじや
由良川左岸、老樹の繁茂した
近世、大河大明神(田辺府志)、正一位五社大明神(丹哥府志)、天一大川五社大明神(旧語集)などと称され、祭神は保命神(田辺府志)、豊受持命(丹哥府志)、大川大明神・稲倉豊宇気持命(丹後旧事記)、また旧語集は「玖津見日向守従五位下直寛之説大川者五行ノ神也」として「豊斟渟尊・罔象女命 二神中殿水神也、軻遇突知命 左ノ殿火神也、木々乃智命 右ノ殿木神也、埴安命 左二ノ殿土神也、金山彦命 右二ノ殿金神也、大己貴命・保食神 合殿、右五穀成就五行ノ神也」と記す。
大川神社
だいせんじんじや
阿讃の県境にそびえる大川山(一〇四二・九メートル)の頂上に鎮座する。旧村社。祭神は大山祇命・甕速日命・木花咲耶姫命の三神。社伝によれば文武天皇の時、役小角が大山祇命の神託を受けて、この地に社殿を建てて大山祇命を祀り、のちに木花咲耶姫命を合祀して大川大権現と称したという。天平四年(七三二)の大旱魃の時、讃岐国司が雨を祈って慈雨を得、以来祈雨の神として尊信されるようになり、慈雨を与えられた民衆は神前に参集して、鐘鼓を打鳴らして踏舞し、しだいに念仏踊の行事となっていったという。
応安年間(一三六八―七五)長尾大隅守が社殿を再興(讃岐国名勝図会)、寛永五年(一六二八)生駒高俊が社殿を再興。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報