共同通信ニュース用語解説 「大成建設」の解説
大成建設
鹿島や大林組など「スーパーゼネコン」と呼ばれる建設大手の一角。2025年3月期の連結売上高は2兆1542億円で業界3位。オフィスビルや商業施設の建設から、トンネルや橋のような土木工事まで幅広く事業を展開する。19年に完成した新国立競技場の建設工事も手がけた。東南アジアやアフリカにも拠点を有する。1873年創業。
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鹿島や大林組など「スーパーゼネコン」と呼ばれる建設大手の一角。2025年3月期の連結売上高は2兆1542億円で業界3位。オフィスビルや商業施設の建設から、トンネルや橋のような土木工事まで幅広く事業を展開する。19年に完成した新国立競技場の建設工事も手がけた。東南アジアやアフリカにも拠点を有する。1873年創業。
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建設業界の大手企業。1873年(明治6)設立の大倉組商会の建設部門として創業し、鹿鳴館(ろくめいかん)などの建築を手がけた。1887年渋沢栄一らの後援で日本土木会社が設立されると、大倉組商会の建設業務はここに継承されたが、同社は92年に解散し、事業を大倉組がふたたび引き継いだ。1917年(大正6)株式会社大倉土木組となり、のち大倉土木と改称して、東京の上野―浅草間の地下鉄工事や帝国ホテル建設など土木、建築両面で活躍し、満州(中国東北部)にも子会社として満州大倉土木を設立した。第二次世界大戦後は財閥解体で大倉財閥色がなくなるとともに、社名を大成建設と改め、ビル建設ブーム下に大手町ビルなど代表的建築を手がけ、黒四(くろよん)ダムなど電源開発工事にも参加して大きく成長。同社は、1953年(昭和28)の有楽土地設立を皮切りに、大成プレハブ(現大成ユーレック)、大成設備など子会社群を設立してグループ経営を積極的に展開するとともに、69年には住宅事業部門に進出、その後も本州四国連絡橋や青函(せいかん)トンネルなどの国家的大プロジェクトに参加するなど積極的経営を行ってきた。資本金1124億円(2008)、売上高1兆3697億円。
[中村青志]
『大成建設社史発刊準備委員会編・刊『大成建設社史』(1963)』▽『大成建設株式会社編・刊『大成建設のあゆみ 1945~68』(1968)』▽『経済界「ポケット社史」編集委員会編著『大成建設――ハード&ソフトで人間環境を追求』(1991・経済界)』
日本有数の総合建設会社。大手5社の一つ。幕末に越後から上京し1867年(慶応3)に大倉銃砲店を開いた大倉喜八郎が,73年(明治6)に外国貿易を営む大倉組商会(組合組織)を設立,貿易業務の一方で政府の命により建設工事その他の請負を行ったのが同社の前身。この時期,新橋停車場の一部や鹿鳴館などの工事を手がけた。87年渋沢栄一,藤田伝三郎が日本最初の法人建設企業,有限責任日本土木会社を設立し,大倉組商会の土木建築業務を継承した。93年大倉喜八郎が再びその業務を継承して大倉土木組と改称。1911年合名会社大倉組(大倉組商会が1893年に改組)に合併され(株)大倉組土木部となり,17年(株)大倉土木組として独立,以後日本土木(株),大倉土木(株)と改称した。
第2次大戦後,大倉財閥の一翼を担っていた同社も,46年社員が株式を譲り受け,社名も大成建設(株)と改めた。なお1945年に行った銀座商店街復興工事は,戦後の建設工事の第1号といわれている。現在同社は業界大手で唯一の非同族会社である。戦後高度成長期には建築,土木の両面で工事量を伸ばした。また昭和40年代からは子会社大成プレハブ,有楽土地を中心に,住宅・不動産事業も拡大してきた。原子力発電所など先端技術分野を積極的に開発,海外工事受注も多い。売上構成は建築87%,土木その他が13%。資本金1124億円(2005年9月),売上高1兆7080億円(2005年3月期)。
→大倉財閥
執筆者:中山 裕登
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