建設工事を施工することを主としている事業。この場合、建設工事とは、(1)建築物、土木施設、その他土地に接着する工作物とそれらに付属する設備を新設、改造、修繕、解体、除去および移設すること、(2)土地、水路などを改良、造成すること、(3)機械装置を備え付け、解体、移設することである。
[加藤佑治]
日本の建設業が近代的な姿態をまとうようになったのは第二次世界大戦後のことである。戦前の段階においては、建設業という呼称さえなく土木建築請負業とよばれ、独立した産業として社会的にかならずしも認知されていなかった。そこで請負業としての成立をたどると、その端緒は、江戸時代の仕事師(鳶(とび))や大工などの棟梁(とうりょう)にみいだされる。だが、それが本格的形成をみるのは明治以降のことである。すなわち、この段階の建設業の代表的な経営としては、19世紀前半に創業された清水(しみず)組、鹿島(かじま)組などがあるが、これらは、日本資本主義の成立過程で増大した鉄道、電力、工場などの大規模な工事需要に結び付くことによって、その基盤を固めた。その後、大正、昭和初期にかけて、これらの経営は資本主義の発展とともに膨張し、やがてその経営形態も同族的な個人経営から合名、合資、株式会社といった資本主義的企業としての組織をしだいに整えていった。
これら第二次世界大戦以前の段階の建設業の生産技術水準はおしなべてきわめて低位であり、その労働手段の機械化が本格化するのは戦後の高度「成長」期をまたねばならなかった。したがって労働手段の大半は、道具とそれの単に大型化した程度のごく簡単な機械にとどまった。また建築工事の資材としては、当初の木材に加え、れんが、タイルなどが導入され、さらに大正期以降のビル工事の増大を通じて、鉄骨、コンクリート、鉄筋コンクリートなどが普及をみた。
[加藤佑治]
建設業は本来、他の産業ないし文化の基盤を形づくるものであり、国民経済に深いかかわりを有する。したがって、建設業は経済の発展に応じて発展してきたが、他の産業とは別個の特徴を有する。
第一に建設業の生産は、原則として特定の注文者の注文によって行われる受注産業である。したがって通常一般の需要者を対象として市場生産を行うことがない。建設業は、一般的には、規格化された商品生産のように資材設備や労働力を準備して計画的に生産することがむずかしい。このために自主的に量産方式をとりにくく、また厳密な原価計算をすることができないので、その経営はしばしば安定性がなく、投機的なものになる傾向がある。
第二に建設業は、一般製造業のように定置産業ではなく、いわば移動産業である。したがって注文者の注文に基づいて生産の場所を移転する。したがって機械や労働力の能率的な利用が妨げられる場合が多く、経営の集中管理が困難である。
第三に建設業にあっては、天候の都合によって工事の中止を強いられるといった自然条件の強い影響を免れがたい性格を有する。
第四にその生産活動において、鉄鋼、セメント、木材など他の工業生産物の供給を受け、これらを加工したり組み立てる産業である。したがって建設業は原材料費の全工事費に占める割合が大きく、一般産業ときわめて密接な関係をもっている。
[加藤佑治]
各国の建設業は、それぞれ国民経済の発展に重要な役割を果たしている。しかし第二次世界大戦後の復興から経済の「成長」の段階を経て、1970年代に入ると、各国の諸条件によりかならずしも一様ではないが、国際的な経済危機のもとで全体として各国のGNP(国民総生産)に占める建設投資額の構成比は停滞の度を募らせている。これを、発達した資本主義国の1964年と1979年の建設投資額のGNPに占める構成比の変化としてみると、1964年には5か国のすべてが10%以上であったにもかかわらず、1979年には日本と旧西ドイツを除き、いずれも10%を下回った。1980年代後半以降はアジア諸国の経済発展が顕著となり、2000年代初頭の対GDP(国内総生産)比は、欧米諸国はおおむね4~8%前後にとどまっているが、アジア諸国は、韓国(2002年、約16%)をはじめ平均10~15%前後で推移している。日本は1980~1990年度は約15~18%前後で推移していたが、1991年度以降は減少を続け、2003年度では10.8%となっている。
世界の建設業の構造的な特質を一言にしていえば、各国とも零細企業の比率が圧倒的に高いことにある。とくに建設業のなかにおいて1人の従業員ももたない業者、いわゆるone man firmsの占める比重が他の産業に比較して非常に高いことである。このように零細企業が大きな比重をもっている反面、他方では大建設会社が巨大な生産力と優秀な生産性を誇っている。
たとえば、2003年度総受注高で国内1位にランクされている大成建設は、資本金943億円、年間受注額1兆2038億円、従業員9558人であり、2位の清水建設は、それぞれ744億円、1兆1937億円、9420人、また3位にランクされている鹿島建設は、それぞれ641億円、1兆1781億円、1万0161人(2003年現在)など、他の重化学工業部門の独占体に匹敵するマンモス企業である。
また欧米各国における建設業がわが国のそれと著しく相違していることは、一つに下請(したうけ)業者sub-contractorの意義と機能であろう。後述するようにわが国の建設業では、下請業者は多分に労務提供業者的役割をしているのに反し、欧米では専門職種別の業者specialistであり、わが国のように元請(もとうけ)に対して労務のみを提供するようなことは少ない。もう一つは、上記のような状況とも関連して、日本の労働組合の交渉機能がきわめて弱く、とくにゼネコン(総合工事業者)が統括する野帳場(のちょうば)の現場労働者はごく最近までまったくの未組織状態にあったのに対し、欧米では建設業の労働組合はそれぞれの国の労働運動史に欠かせない枢要な存在であるとともに、現在でも無視できない影響力を行使していることである。
[加藤佑治]
前述したように、国民経済における建設業の占める地位は各国とも依然低いものではないが、わが国のそれはとくに高い位置にある。とくにいわゆる高度「成長」の過程で建設業の比重は急速に高まった。すなわち、その間の建設投資額の推移をみると、1955年度(昭和30)の約1兆円から、1972年度の約21兆円へと実に20倍以上となっている。この結果、建設業は他産業を上回る生産の伸びを実現し、その就業者数も急速に増加した。
1973年のオイル・ショックは、日本経済のそれまでのような急速な膨張の条件を喪失せしめ、実質建設投資額は1980年代に至るまでほぼ横ばいのままに推移してきたが、それに国家財政の赤字―公共工事支出抑制も加わり、かつてない構造的な危機と再編に直面している。
こうして今日わが国建設業は、一方で東京湾横断橋に代表される大規模プロジェクトの企画と実現、都市再開発工事促進のための諸規制の撤廃、さらに増改築など小規模工事市場への進出など需要の創出に努め、他方で狭まる国内市場のかわりにその活路を海外建設市場に求めるようになっている。また国内外におけるシェアの拡大を目ざし、経営体質を受動的な請負から知識集約的なエンジニアリング、アドバイザー、調査、設計などを中心とする脱請負志向を強めるとともに、企業間の受注競争が激化の度を募らせている。
一方における超大型企業の君臨、他方における中小零細企業群の存在は、各国建設業にみられる現象であるが、それはわが国においても例外ではない。すなわち、わが国建設業の大部分にあたる97%が資本金5000万円未満の中小業者で占められている(2000年現在)反面、わずか1%にも満たない資本金1億円以上の会社が施工総額の43%を占めている。この構造的特質は、受注競争の激化のもとでいっそう顕著になりつつあり、中小企業を中心に、年間6000件近い高水準の倒産が、受注の減少を主要な一要因として続発している。
そしてこの中小建設業の多くは、日本の建設業の特徴でもある下請構造における特殊な役割を担っている。すなわち、わが国下請制度は、元請→親方→職人という下請の形態を基礎として、たとえば、元請→名義人→大世話役→世話役→棒心(ぼうしん)→労働者というように重層化しており、元請と労働者の間に多くの中間業者が介在している。そしてこれらの中間業者は、通常「○○工務店」を名のっているが、往々にして整備された労働手段をもたず、労働力のみを提供するいわゆる「人入れ稼業」的側面を強く有している。このような下請編成は元請資本にとっては、あたかもルーズな軟体動物の手足のように、需給の変動に対応して末端から切り離し、またとってつけることを可能にしている。
また同時にこの編成は、費用損失の転化の機能をも果たしている。すなわち、元請から現場に至る重層的な下請制度の各階層で、所定の利潤が順次先取りされて、そのしわ寄せが下請に、さらにその次の下請に、そして最後に末端の下請労働者に及ぶという形になっている。
高度成長期以来の建設生産力の高度化を経て、近年のその傾向は、機械化の点では野帳場では連続化、自動化、システム化が広がる気配を示し、ダム工事では1956年完成のかの佐久間ダム工事の約10倍の生産性を実現している。また戸建て住宅については、プレハブや2×4(ツーバイフォー)工法が比率を高め、木造在来工法の地位はしだいに低下するとともに、住宅の部品化も急速に進んでいる。こうしたなかで、伝統的な熟練労働力が陳腐化傾向を示すとともに、不熟練重筋労働力も機械にとってかえられつつあり、短期の見習いで習得できる、あるいは見習い経験の要しない半熟練型を主体とする労働力の比重を高めている。
こうした生産過程の変動に伴い労務供給的な下請制度は、元請のコスト削減、工期の短縮などの要請によって、一方で現場労働者に対する直接の支配、管理を強化するとともに、他方では下請育成の名のもとに名義人の企業化が図られ、その配下の世話役親方の技能養成をはじめとするいくつかの自立的機能を元請および一次下請企業が吸収するという形で、しだいに再編されてきた。したがって下請再編は、従来の労務下請業者の上層部分を、企業としての自立的形態をとらせつつ収奪することによって、元請資本の競争力を高めるという工業においてみられる蓄積方式を、建設業において具体化させようとするものといえよう。
しかしながら、その蓄積方式は、階層的な下請構造の末端における労働者集団の分断、したがって無権利で劣悪な賃金、労働条件とセットされることにより初めて大きな意義をもつことになる。それゆえに、労務下請とそれにより供給される労働者は、元請にとって不可欠な存在となってきている一次下請企業育成策の成否を左右するという新たな存在意義を付与されながら、建設業における下請制の特質として依然重要な位置を占めているのである。
[加藤佑治]
『原沢東吾著『日本建築経済史』(1944・冨山房)』▽『独占分析研究会編「鹿島建設株式会社」(『日本の独占企業4』所収・1970・新日本出版社)』▽『高梨昌著『建設産業の労使関係』(1978・東洋経済新報社)』▽『中村賀光著『建設業界』(1981・教育社)』▽『加藤佑治著『現代日本における不安定就業労働者』上下(1980、82・御茶の水書房)』▽『内山尚三著『建設産業論』(1983・都市文化社)』▽『加藤佑治著『現代日本における不安定就業労働者』増補改訂版(1991・御茶の水書房)』▽『日刊建設工業新聞社編集局著『大手建設企業の変貌――21世紀建設経営への指針』(1991・日刊建設工業新聞社、相模書房発売)』▽『長門昇著『建設業界用語辞典』(1993・日本実業出版社)』▽『長門昇著『建設業界再生への挑戦――新入札制度と開放政策で53万業者は…』(1994・日本実業出版社)』▽『宗重博之著『図解でわかる建設業界勢力地図――いま巨大産業で何が起こっているのか』(1996・ぱる出版)』▽『金本良嗣編『日本の建設産業――知られざる巨大業界の謎を解く』(1999・日本経済新聞社)』▽『椎野潤著『建設ロジスティクスの新展開――IT時代の建設産業変革への鍵』(2002・彰国社)』▽『渡辺一明著『新版 図解 建設業界ハンドブック』(2002・東洋経済新報社)』▽『建設経済研究所編著『縮小が続く建設市場と建設産業の活路』(2002・大成出版社)』▽『建設経済研究所編著『新たな対応が求められる建設産業と効果的な公共投資・都市再生』(2003・大成出版社)』▽『和田肇・川口美貴・古川陽二著『建設産業の労働条件と労働協約――ドイツ・フランス・イギリスの研究』(2003・旬報社)』▽『鈴木一著『変わる建設市場と建設産業について考える』(2004・建設総合サービス)』▽『古川修著『日本の建設業』(岩波新書)』
土木および建築とそれに付帯する工事を施工する産業。建設業の対象になるのは,主として構造物を土地に固定する工事であるが,土地の掘削や地盤の改良,設備工事等も対象になる。
日本における建設投資を建築・土木別にみると6対4程度,公共・民間別では3対7程度になっている。また国民経済的には,建設業は,国内総生産の10%強,総就業人口の約10%を占め,欧米各国等と比べきわだって高い。
文明発祥以来,人類は農業をおこし都市や国家をつくるなかで長い建設活動の歴史を有するが,産業としての建設業の誕生は意外に新しい。建設業成立以前の社会では,国家が被征服民族を奴隷として使用して建設工事に従事させたり,住民に夫役を課すなどの方法がとられてきた。
日本において請負業としての建設業の萌芽がみられたのは江戸時代である。江戸幕府による参勤交代制が確立されたため,江戸に全国の大名屋敷が集中し,このことが建設技能者の増大と建設工事の請負を主業とする者の発生の契機となった。現存する最古の請負工事の史料は,1640年(寛永17)の美濃神社の三重塔造営工事である。この工事は京都の石材商によって請け負われ,請負契約のなかには引渡し後の保証も含まれていた。江戸中期18世紀になると,土木工事においても請負業がほぼ定着してきた。しかし,この時期は,土木工事全般を請け負うというものではなく,土木工事への鳶職人や人夫の労務供給請負,橋の架設や維持補修等の小土木工事という範囲に限られていた。
明治になると,西洋建築や工場建築の需要に対応して,資本家化した町方棟梁を中心として建築業界は活況を呈した。江戸末期の横浜開港以来,外人居留地における外国商館建築ブームが起こり,大工棟梁から出た清水喜助(清水建設創業者),鹿島岩吉(鹿島建設創業者)等の建築業者がこれを施工している。同時期,土木業界は,1870年(明治3)に開始された新橋~横浜間の鉄道工事および引き続いての明治年間の主要鉄道網の建設とともに請負業として成長した。87年,最初の法人組織による建設会社として有限責任日本土木会社(大成建設の前身)が設立されている。官営建設工事が直営施工から請負方式に変えられていたことにより,官庁発注工事を一括受注しようという意図で設立された大建設企業であった。1900年代半ばから10年代にかけて,鉄骨や鉄筋コンクリート構造の建築技術が導入された。1906年に赤坂離宮が鉄骨構造で造られ,09年には日本橋丸善や渋沢倉庫が鉄筋コンクリートで建設された。一方,鉄道工事が主であった土木業界では,明治末期から大正にかけて水力発電用のダム工事が増大した。
明治末期から昭和初期にかけて,建設業はこうした工事を中心に発展したわけであるが,それに伴い,経営形態も個人経営から合名会社,合資会社,株式会社等近代的組織へと脱皮していった。1909年に竹中工務店が合名会社になり,12年には清水組が合資会社に,20年には日本土木会社が,30年には鹿島組がそれぞれ株式会社になっている。
戦後の建設業は,しばらくは需要の低迷と企業の乱立に悩まされることになる。しかし,50年の朝鮮戦争による特需で産業界が活況を呈するに伴い,建設業もしだいに受注をふやしていった。50年代前半は,戦後の第1次ビル・ブームと呼ばれ,土木の分野でも機械化施工による大ダムの建設ラッシュがみられ,同時に自動車の普及に伴い道路工事が拡大していった。60年代に入ると,建築では住宅市場が開花し,住宅産業が注目されるようになった。この分野には他業種の企業の進出も目だった。60年代の終りにはまた,高さ150m級のいわゆる超高層建築が都心に出現した。東京霞が関の霞が関ビル(1968竣工)がその第1号で,以後,新都心新宿西口を中心に多くの超高層ビルが大手建設業者によって建設された。土木の分野では,名神高速道路(1965全通),東名高速道路(1969全通)や東海道新幹線(1964全通)をはじめとして,都市高速道路網の整備,大都市の地下鉄導入など大プロジェクトが相次いだ。60年代から70年代初めにかけての高度成長時代の後半から末期には,大手建設業は,従来の付加価値の低い工事請負一本やりから〈脱請負〉の掛声のもとに,不動産・住宅部門へと事業の多角化を図った。しかし,73年の石油危機を契機とした不動産不況,住宅販売の不振に直面することになった(〈不動産業〉の項参照)。また,日本経済が高成長から低成長へと移行するのに伴い,公共事業も含め国内建設需要の鈍化傾向は避けられず,日本の建設業もこれに対応して,エンジニアリング業務(企画・設計から建設完了までプロジェクト全体を一貫して手がけるもの)や都市開発業への進出など,新しい事業展開を探りはじめている。また75年ころからは,海外建設工事にも積極的に取り組んでいる。東南アジア諸国および中東産油国からの受注が大半であるが,大手業者の総受注高に占める比率は1割にも達せず,欧米諸国に比べると立ち遅れており,またカントリー・リスクを含め採算面でも問題がある。
建設工事の種類,規模,工事場所が千差万別で,また近年,機械化,工場生産化がすすんでいるとはいえ,依然労働集約的色彩が強いため,建設業は,地場業者,専門業者をはじめとする中小零細企業の存立条件があり,業者数は約55万と膨大である。その一方,高度の技術と大資本を必要とする大工事も多数あるので,ゼネコン(ゼネラル・コントラクターの略)と呼ばれる大手総合建設業者も並存するわけであるが,〈大手5社〉(清水建設,鹿島建設,大成建設,大林組,竹中工務店)のシェアは合計でも1割に満たない。欧米にはこうした総合建設業者は少なく,特定の分野だけを対象とする業者がほとんどである。このため,世界における建設業者の大手は,アメリカの業者がトップ・クラスの過半を占めるものの,日本の大手5社も大差なく,ベスト・テンに日本から3社入っている。世界のトップを形成するアメリカのブラウン・アンド・ルート社Brown&Root,ベクテル社Bechtel,フラウア社Flourなどは,国内だけでなく,発展途上国の経済建設やエネルギー開発を活発に行っている。
建設業は多くの工事部門から構成される総合組立産業であるため,ある程度以上の規模の工事では,注文主側が有力業者に発注を限定する傾向がある。こうした事情もあって,建設業では性格を異にする業者が幾重にも重なり合って重層的元請・下請関係を形成している。欧米各国が専門職種別の近代的下請制度になっているのに比べて,前近代的関係を強く残すこの下請機構の近代化は今後の課題である。ゼネコンは,建設生産は下請に依存し,自らは営業活動,設計,資材調達,施工監理を担うという商社的性格が強い。そして業者は,製造業者のようなコスト面より受注という販売面で競争する傾向が強いわけである。
受注方式には,特命受注と入札とがある。特命方式は,発注者が特定の業者に工事を直接依頼するもので,官公庁工事では原則としてなく,民間工事だけで行われる。老舗・名門の業者はこの特命受注の比率が高く,一般に採算もよい。入札には,指名入札と競争入札とがある。入札業者を発注者が何社か指名するかオープンにするかの違いであり,会計法では原則として競争入札にするとなっているが,実際には,ほとんどの官公庁工事は指名入札になっている。この指名入札をめぐって業者間に談合が行われていることは,なかば公然たる秘密であり,業界の体質改善,請負契約制度の改善が望まれる。
→建設業法
執筆者:竹本 浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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