プロ野球選手(内野手:右投右打)。3月5日、岡山県生まれ。関西(かんぜい)高から丸井へ入社後、1965年(昭和40)に東映フライヤーズ(現、北海道日本ハムファイターズ)へ入団、1967年からレギュラーとなり、一塁手を務めた。飯島滋弥(しげや)コーチの「月に向かって打て」の助言で急成長したことは有名である。1970年に本塁打王と打点王を手にし、翌1971年も本塁打王を獲得したが、この年には史上初の5者連続本塁打の締めくくりの5人目の打者を務めた。1972年には2回目の打点王、1973年には6試合連続本塁打のパシフィック・リーグ記録を樹立した。1975年からはヤクルトスワローズ(現、東京ヤクルトスワローズ)に移籍、1978年には初体験となる優勝を味わった。さらに阪急ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)との日本シリーズ最終戦で自らのホームランがフェアかファウルかをめぐって、敵将上田利治(としはる)による史上最長1時間19分の猛抗議をよんだが、それが決勝ホームランとなり、日本一にもなった。1983年に引退するまで、初の両リーグにおける1000安打をマーク、しかし両リーグ200本塁打にはあと1本、及ばなかった。熱血漢で、乱闘での武勇伝は数知れず、ホームランを打ってスタンドに投げキスするパフォーマンスでも人気があった。
[出村義和 2016年9月16日]
19年間の通算成績は、出場試合2235、安打2228、打率2割8分7厘、本塁打486、打点1507。獲得したおもなタイトルは、本塁打王2回、打点王2回、ベストナイン5回、ダイヤモンドグラブ賞(現、ゴールデン・グラブ賞)1回。1997年(平成9)に野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
『大杉勝男著『大杉勝男のバット人生』(1984・リイド社)』
昭和期のプロ野球選手
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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