日本歴史地名大系 「大柿遺跡」の解説
大柿遺跡
おおがきいせき
字カワラケメンほかに所在する縄文時代後期から近世にかけての複合遺跡。吉野川北岸の標高八〇メートル前後の中洲性微高地上に立地し、東西約一・五キロ、南北五〇〇メートルの通称「シマ」とよばれる微高地全体に展開すると推定される。昭和五〇年(一九七五)吉野川北岸農業水利事業に伴い発掘調査が実施され、弥生時代の竪穴住居跡一一軒・掘立柱建物跡四棟・土坑八〇基・土壙墓一〇基、古墳時代の竪穴住居跡一六軒・掘立柱建物跡七棟などが検出された。弥生前期末の遺構からは阿方式土器が出土し、瀬戸内地方との関係を考えるうえで重要な遺跡として知られてきた。
平成八―九年(一九九六―九七)には四国縦貫自動車道建設に伴い、発掘調査が実施された。調査地点は昭和五〇年の調査地点から南に約三〇〇メートル付近で、旧地形では微高地南斜面部にあたると推定されていた。調査の結果、微高地斜面部は吉野川の旧後背湿地に面し、各時代の水田が検出された。確認された最古の水田は弥生前期末から中期初頭までさかのぼる。水田は後背湿地部と傾斜率約八分の一の斜面を棚田状に開墾している。棚田は五段確認されており、幅二メートル以下の狭く細長い水田で、段差は二〇―五〇センチ程度である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報