大江巳之助(読み)おおえみのすけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大江巳之助」の意味・わかりやすい解説

大江巳之助
おおえみのすけ

[生]1907.5.4. 徳島,大津
[没]1997.1.24. 徳島,鳴門
人形浄瑠璃文楽の人形製作者,人形師本名大江武雄。徳島県大津村大代で 3代続いた人形師の家の二男に生まれる。旧制撫養中学校に入学するが病に倒れて中退。療養中に文楽人形(→人形浄瑠璃)の魅力にとりつかれ,1930年に上阪し人形師見習いとして四ッ橋文楽座(→文楽座)に入座,4世大江美之助を襲名する。1世吉田栄三,3世吉田文五郎の指示を受けながら独学で人形製作を学び,1935年に文楽座付き人形師となり,巳之助と改名する。1940年徳島県に戻り,以後郷里で文楽人形の修理,製作に従事する。太平洋戦争中,一時村役場の職員として勤めるが,戦後の 1946年に松竹から灰燼に帰した首(かしら)の復興を依頼されて人形師に戻り,国立文楽劇場(→国立劇場)が今日所蔵する 400近い首のほとんどをつくり上げた。文五郎の「首はぼんやり彫れ。魂はわしが入れる」との教えを守り,性格をとことん出す一歩手前で仕上げることを心がけた。1971年紫綬褒章,1976年吉川英治文化賞,1982年勲四等瑞宝章,1988年文楽協会功労者表彰,1990年文化庁長官表彰など数多くの栄誉に輝いた。(→浄瑠璃文楽

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

20世紀日本人名事典 「大江巳之助」の解説

大江 巳之助(4代目)
オオエ ミノスケ

昭和・平成期の文楽人形師



生年
明治40(1907)年5月4日

没年
平成9(1997)年1月24日

出生地
徳島県鳴門市

本名
大江 武雄

学歴〔年〕
撫養中(現・鳴門高)中退

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和46年〕,キワニス文化賞〔昭和49年〕,吉川英治文化賞〔昭和51年〕,伝統文化ポーラ大賞(第7回)〔昭和62年〕,文化庁長官表彰〔平成3年〕,大阪文化賞〔平成8年〕,日本文化芸術振興賞(日本伝統文化振興賞 第4回)〔平成9年〕

経歴
徳島県鳴門の人形師の家に生まれる。人形浄瑠璃の衰退とともに仕事は減り、家業を継ぐ気はなかったが、中学4年の時結核になり、その失意の床でふと手にした雑誌に文楽の写真を見つけ、人形師を継ぐことを決意。6年間の闘病生活を終えて大阪の人形遣い桐竹門造の内弟子となり、独学で人形の構造、種類を研究。昭和5年文楽座座付き人形師となり、7年頃4代目巳之助を襲名。14年に鳴門にもどり、以後人形の首(かしら)の製作を一手に引き受けた。内田澄子の小説「文楽人形師・大江巳之助」のモデルでもある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大江巳之助」の解説

大江巳之助(4代) おおえ-みのすけ

1907-1997 昭和-平成時代の文楽人形師。
明治40年5月4日生まれ。徳島県鳴門の人形師の家に生まれる。大阪で修業し,昭和5年文楽座の座付き人形師となり,4代巳之助をつぐ。15年鳴門にもどり,人形の首(かしら)製作ひとすじにつくした。51年吉川英治文化賞。平成9年1月24日死去。89歳。撫養中学中退。本名は武雄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大江巳之助」の解説

大江 巳之助(4代目) (おおえ みのすけ)

生年月日:1907年5月4日
昭和時代;平成時代の文楽人形
1997年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android