日本歴史地名大系 「大江神社」の解説 大江神社おおえじんじや 鳥取県:八頭郡船岡町橋本村大江神社[現在地名]船岡町橋本大江川中流左岸、才原(さいばら)(江戸時代は下野村内)集落の南西部にある。祭神は天穂日命・大己貴命・三穂津姫命など。旧郷社。「延喜式」神名帳に載る八上(やかみ)郡一九座のうち「大江(オホエノ)神社三座」とあるのが当社とされる。「文徳実録」仁寿元年(八五一)一〇月一〇日条に「因幡国大江。(中略)五神並授従五位下」とみえる。社伝によれば大江(中原)広元の崇敬を受けたという。広元は元暦元年(一一八四)九月一八日に因幡守に任ぜられている(山槐記)。長治二年(一一〇五)七月一一日の因幡国大江社神主上野清永解(山口光円氏本打聞集裏文書)によれば、上野清永は比叡山上座行算の使いと称する一万法師によって神主職を押妨されていることを比叡山に訴えている。 大江神社おおえじんじや 大阪府:大阪市天王寺区中小路町大江神社[現在地名]天王寺区夕陽丘町勝鬘(しようまん)院の西にあり、祭神は豊受大神・素盞嗚命・少彦名命・大己貴命・欽明天皇。旧郷社。四天王寺の乾にあるので乾(いぬい)社と称し、毘沙門天像を祀り、神宮寺乾社ともよばれた。宝暦二年(一七五二)の天王寺管内地図には「毘沙門堂」とあり、「摂津名所図会」には乾社とある。明治維新前は四天王寺の塔頭東光(とうこう)院が別当となり、その下に神職が置かれていたが神仏分離後、現社号に改めた。近世天王寺村には七小村があり、それぞれに鎮守社を祀り、天王寺七宮と総称されていた。当社もその一つで、ほかに土塔(どとう)・上(うえ)ノ宮(みや)・小儀(おぎ)・堀越(ほりこし)・河堀稲生(こぼれいなり)・久保(くぼ)の各社がこれに含まれる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by