日本歴史地名大系 「大満村」の解説 大満村おおまむら 鳥取県:鳥取市旧高草郡地区大満村[現在地名]鳥取市大桷(だいかく)野坂(のさか)川左岸、嶋(しま)村の西に位置する。「因幡志」によれば桷間(かくま)村から四町北にあたる。正保国絵図には大間村と記載されていたが、元禄国絵図・元禄郷帳作成に際し大満村と改められた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。拝領高は三六五石余。寛保二年(一七四二)の高草郡村々下札帳写(賀露神社文書)では生高四〇一石余、本免五ツ八分。山札銀七匁・藪役銀四匁が課されていた。佐々氏・土肥氏の給地があった(給人所付帳)。「因幡志」では家数一〇(古記では二〇軒)。天保一四年(一八四三)の村々人数増減書上帳(加藤家文書)によると男六八・女四五。嘉永二年(一八四九)の組合帳(同文書)では竈数二一。 大満村だいまむら 埼玉県:入間郡越生町大満村[現在地名]越生町大満小杉(こすぎ)村の南、越辺(おつぺ)川上流域の山間村で、水田・人家は谷間に点在。大間とも書く。永禄三年(一五六〇)一二月一〇日の太田資正制札写(武州文書)に「大間」とみえ、堂山最勝(どうやまさいしよう)寺領であった同地など六ヵ所に対し軍勢の違乱を禁止している。田園簿では田高六七石余・畑高六一石余、幕府領、ほかに紙舟役永六〇〇文を上納。寛文八年(一六六八)に検地があり(風土記稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by