20世紀日本人名事典 「大石順教」の解説
大石 順教
オオイシ ジュンキョウ
昭和期の尼僧,社会事業家,書家 勧修寺(真言宗階山派大本山)門跡院主。
- 生年
- 明治21(1888)年3月14日
- 没年
- 昭和43(1968)年4月21日
- 出生地
- 大阪府大阪市道頓堀
- 旧姓(旧名)
- 大石 よね
- 主な受賞名〔年〕
- 日展入選
- 経歴
- 明治38年大阪堀江で妻吉と名乗って芸者をしていた頃、犯罪史に残る“堀江6人切り事件”に遭遇、養父に刀で斬りつけられ両腕を失う。その後、三遊亭金馬一座に加わって巡業生活を送ったのち、筆を口にくわえて書画を描くことを始める。日本画家・山口草平と結婚して一男一女をもうけるが、離別。昭和8年高野山金剛峰寺で金山穆韶について得度、順教と改名。11年京都の真言宗階山派勧修寺の塔頭となり、同寺内に身体障害者福祉相談所(自在会)を設立し、200人以上の婦女子を収容救済した。戦後この施設を仏光院としたが、身体障害者の心の灯としてその一生をささげ、“無手の聖人”“日本のヘレンケラー”と慕われ、また書や日本画も堪能だった。平成4年芸術を志す障害者に贈られる順教賞が創設された。著書に「妻吉自叙伝」「無手の法悦」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報