女子給仕人の略称であるが、もっぱらカフェーの従業婦をさした。明治時代に初めてカフェーが出現したころには単なる給仕人で、女ボーイなどとよばれたが、カフェーが近代人の好みにあい、新しい社交場として急激に増加するとともにサービス女と化し、女給人口も昭和初年には全国推定6万人に達した。東京の女給の白エプロン姿は給仕女としての名残(なごり)であったが、客の飲食物を運ぶ以外の仕事はせず、客と同席して遊興を助けた。収入はほとんどがチップに依存するため、露骨なサービス競争を演じ、一部に売春常習者がいたので私娼(ししょう)とみられることもあった。しかし、女給は職業婦人の先端であり、カフェー出現の最初から芸術家と関係が深く、一時はカフェー(女給)時代を現出した。第二次世界大戦により禁圧され、戦後に営業を再開したが、現在では女給の呼称は廃れ、ホステスと称するようになり、風俗・業態とも一変している。
[原島陽一]
…一方,ひろく飲食の席で会食者の世話をすることも〈給仕〉の語で指示されるようになり,その結果,旅館や飲食店などで客の飲食の接待をする係も給仕と呼ばれるようになった。とくに明治時代以降に流行したカフェーやバーで男の客の接待にあたる婦女子は〈女の給仕〉をつづめて〈女給〉と呼びならわされた。だが,今日では給仕もしくは女給という呼名が用いられることはまれで,その代りに,レストランや喫茶店ではボーイもしくはウェーター,ウェートレス,バーやキャバレーではホステスなどの呼名が用いられることが多い。…
…しかし,バーが普及するのは関東大震災後の大正末期からで,1930年ごろから7~8年間が流行のピークとなり,〈十銭スタンド〉と呼ぶ安価な洋風酒場が各所に続出した。第2次大戦後は,店のオーナーもしくは支配人としての役割を果たす“ママ”と呼ばれる女性と,“女給”,のちには“ホステス”と呼ばれるようになる女性が,客の話し相手となり,あるいはダンスの相手となって接待サービスを提供しながら酒を飲ませるタイプのバーが,とくに昭和30年代に増加し,折から始まった高度成長時代の日本のサラリーマンに,過酷な労働のあとの遊びと憩いの場を提供するようになった。もちろん他方には,ウィスキーやカクテルなど洋酒そのものを売りものとする専門のバーテンダーのいるバーが皆無であったわけではないが,ふつうバーといえば,〈風俗営業の洋風酒場〉を意味する風潮が一般的となったことは否めない。…
※「女給」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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