妙経寺(読み)みようきようじ

日本歴史地名大系 「妙経寺」の解説

妙経寺
みようきようじ

[現在地名]黒石市京町 寺町

てら町の南側にあり、法輪山と号し、日蓮宗本尊一塔両尊。妙経寺蔵の妙経寺記録によれば、弘治二年(一五五六)相模国の妙法華みようほつけ寺日弘の弟子江東院日然が、千徳氏の祈願所として、浅瀬石中屋敷あせいしなかやしきに大王山法輪寺を建立したのが妙経寺の起りであるという。慶長二年(一五九七)浅瀬石城落城とともに焼失。寺跡には寛政九年(一七九七)に建てられた題目碑があり、碑の裏には「法輪山旧跡」とある(妙経寺記録)。慶長二年法輪寺は牡丹平ぼたんだいら五輪台ごりんだいに移った。妙経寺一八世日宣が寛政一二年五輪台に建てた碑によれば、法輪寺は「従慶長二至承応元」までこの地にあったことになる。妙経寺記録によれば、承応元年(一六五二)弘前本行ほんぎよう寺日住の弟子日饒が黒石に本圀山妙経寺を建立すると、その頃無住となっていた法輪寺を併せ、法輪山本圀院妙経寺と称した。


妙経寺
みようきようじ

[現在地名]豊岡市九日市下町

円山まるやま川左岸にある。万代山と号し、本尊は十界曼荼羅。法華宗(真門流)。開祖日真は中山大納言親通と但馬山名氏出身の玉露夫人の子で、当寺の南に接する但馬山名氏の御屋敷で生れたとし、その産湯井戸とするものが残されている。そのため当寺は真門流開祖誕生寺とされるが、本山である本隆ほんりゆう(現京都市上京区)の恵光山伝灯録が誕生を文安元年(一四四四)とするのに対し、寛延三年(一七五〇)の当寺の由来記は、玉露夫人を康応元年(一三八九)に没した但馬山名氏初代の時義の娘とする点で年代に開きがある。


妙経寺
みようきようじ

[現在地名]杵築市南杵築

杵築城下の南西にあたる寺町てらまち口番所から西方へ約一〇〇メートルの位置にあり、下司げし村に属する。一乗山と号し、日蓮宗。本尊は十界大曼荼羅。慶長三年(一五九八)頃現在の寺町養徳ようとく寺のある地に、常顕じようけん寺が僧日により創立された。正保二年(一六四五)領主小笠原忠知が三河国に転封となり、常顕寺も藩主に従って移転した。現在山門の左側にある巨大な五輪塔は、小笠原忠知夫人の墓と伝える。元禄一五年(一七〇二)常顕寺に縁故のあった豪商佐伯屋荒巻興治は、一族の豪商とはかり私財を投じて、杉山すぎやまにあった近松きんしよう寺を移し、一寺を創建して一乗山妙経寺と称した(杵築市誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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