宇木汲田遺跡(読み)うきくんでんいせき

改訂新版 世界大百科事典 「宇木汲田遺跡」の意味・わかりやすい解説

宇木汲田遺跡 (うきくんでんいせき)

佐賀県唐津市大字宇木字汲田にある弥生時代の共同墓地貝塚遺跡は松浦川の支流である宇木川左岸に近接した現在の水田下の低位河岸段丘にあり,1928年の耕地整理で,甕棺から細形銅剣銅矛各2本と硬玉勾玉2などが発見されて知られるようになった。さらに,57年の東亜考古学会,65,66年の九州大学を中心とした日仏合同調査によって,弥生時代中期初頭から中期中頃の甕棺墓が合計129基も発見された。甕棺墓からは細形の銅剣,銅矛,銅戈や多鈕細文鏡,銅釧(どうくしろ),硬玉勾玉,碧玉管玉,ガラス管玉などが多数出土した。三雲遺跡須玖遺跡のような中国系文物が副葬される以前の,朝鮮系青銅器のみの代表的甕棺墓群である。共同墓地の北側約100mのところには,小規模な貝塚があり,最下層には板付遺跡の最古の水田跡と同じ時期の夜臼(ゆうす)式土器のみの包含層もある。
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国指定史跡ガイド 「宇木汲田遺跡」の解説

うきくんでんいせき【宇木汲田遺跡】


佐賀県唐津市宇木にある集落跡。唐津平野南部、松浦川の支流、宇木川左岸に近い夕日山東北山麓の河岸段丘上に所在する。1930年(昭和5)の耕地整理で発見された甕棺(かめかん)から銅剣、銅矛、勾玉(まがたま)などが出土し、その後の調査によって弥生時代中期の甕棺墓129基を中心とする墓地であることが判明した。そのほかにも多鈕(たちゅう)細文鏡、銅釧(どうくしろ)、管玉(くだたま)などの副葬品が数多く出土し、出土品は肥前唐津市宇木出土品として、1960年(昭和35)に重要文化財に指定された。また、遺跡の北端では縄文時代晩期の貝塚が発見され、土器、獣や魚の骨、貝類や炭化米も出土した。JR筑肥線鬼塚駅から車で約17分。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇木汲田遺跡」の意味・わかりやすい解説

宇木汲田遺跡
うきくんでんいせき

佐賀県唐津市宇木汲田にある弥生時代前期から後期の遺跡。住居址,墓,貝塚が併存し,当時の共同体社会を究明する手掛りとなる。中期の甕棺墓は現在約 80例が確認され,銅剣銅鉾,銅釧などの副葬品は被葬者が族長的存在であることを示している。

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