須玖遺跡(読み)すぐいせき

精選版 日本国語大辞典 「須玖遺跡」の意味・読み・例文・類語

すぐ‐いせき‥ヰセキ【須玖遺跡】

  1. 福岡県春日市岡本にある彌生文化遺跡。明治三二年(一八九九発見甕棺墓(かめかんぼ)が群をなし、共同墓地を形成している。副葬品として前漢鏡銅剣銅戈(どうか)などの青銅器類や玉類などが多数発見されている。須玖式土器は彌生中期の標式須玖岡本遺跡

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改訂新版 世界大百科事典 「須玖遺跡」の意味・わかりやすい解説

須玖遺跡 (すぐいせき)

福岡県春日市岡本町を中心にひろがる弥生時代遺跡群。牛頸山から福岡平野に突出した低丘陵地帯には多くの弥生遺跡が知られ,この中でとくに有名なのが丘陵の北端にある須玖遺跡である。遺跡の三方には広い平地が望まれ,丘陵上には墓地群を中心とした遺跡が発見されている。1899年に巨石の下から甕棺墓が発見され,前漢鏡約30面,ガラス璧(へき),勾玉,銅剣,銅矛(どうほこ),銅戈(どうか)など多数の副葬品が出土して注目されるようになった。1929年には京都大学が発掘調査し,甕棺内から細形銅剣を発見したが,この報告書で弥生中期の土器に須玖式という型式名がつけられた。62年の福岡県教育委員会の調査では,銅剣,銅戈,銅釧(どうくしろ),鉄刀,ガラス勾玉などが出土した。このほか住宅地から銅剣,銅戈,鉄戈,鉄剣,ガラス製品などと青銅器の鋳型多数が採集されていることから,青銅器の生産地であったこともわかる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「須玖遺跡」の意味・わかりやすい解説

須玖遺跡
すぐいせき

福岡県春日(かすが)市岡本町に所在する弥生(やよい)時代の墳墓遺跡。福岡平野南部の低平な丘陵の先端に位置し、この丘陵を中心として分布する同時期の遺跡に比べて、その内容は質、量ともに首座を占めるものである。1899年(明治32)偶然発見された巨石下の甕棺墓(かめかんぼ)には前漢銅鏡三十数面、細形銅剣、銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)8口以上、ガラス璧(へき)、ガラス勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)など重要な遺物が副葬されており、以来学界の重視するところとなった。この台地上には広範に甕棺墓の分布することが知られており、その後も鏡、青銅器、鉄器、玉類などの発見が相次いだ。その一部は1929年(昭和4)京都帝国大学、62年(昭和37)九州大学、福岡県教育委員会によって発掘調査が実施され多くの成果をあげたが、全体的な把握のなされる前に宅地造成のため消滅した。79年には丘陵の南側で新たに甕棺墓地が調査され、ことに朝鮮製小銅鐸(どうたく)鋳型の出土で注目を浴びた。こうした須玖遺跡を構成する墓地群、あるいは墓地内の甕棺墓群の相互間にみられる差異は、すでにこの時期に社会的格差の生じていたことを示唆し、弥生時代社会を解明する重要な遺跡である。

[高倉洋彰]

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百科事典マイペディア 「須玖遺跡」の意味・わかりやすい解説

須玖遺跡【すぐいせき】

福岡県春日(かすが)市須玖岡本にある弥生(やよい)時代の甕棺(かめかん)墓群。1899年台地上の巨石下から合口甕棺(あわせぐちかめかん)が多数発見され,内部から青銅利器のほか,30面近くの前漢鏡や鉄剣,ガラス製璧(へき)などが出土した。のち付近の地点からは銅剣,銅戈(か),銅矛(ほこ)鋳型など青銅器製作にかかわる遺物が出土している。中国史書にみられる奴国(なこく)をこの遺跡にあてる説がある。
→関連項目春日[市]玉器

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「須玖遺跡」の意味・わかりやすい解説

須玖遺跡
すくいせき

福岡県春日市岡本町にある弥生時代中期の遺跡。 1899年に大石の下の甕棺から銅鏡 30面以上,銅剣,銅鉾,鎔笵 (ようはん) などが発見された。その後,耕作や数次の学術調査によって多数の甕棺や青銅器などが発見されている。奴国のあった地と推定され,本遺跡は首長墓の性格をもっている。

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