安井算知(読み)やすい さんち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井算知」の解説

安井算知(1) やすい-さんち

1617-1703 江戸時代前期の囲碁棋士。
元和(げんな)3年生まれ。安井算哲入門。算哲の実子(渋川春海(はるみ)ら)が幼少のため,安井家2世をつぎ,寛文8年名人碁所となる。本因坊道悦との争碁に敗れ,延宝4年碁所を返上,元禄(げんろく)9年算哲の子の知哲に3世をゆずって退隠した。元禄16年3月12日死去。87歳。山城(京都府)出身

安井算知(2) やすい-さんち

1810-1858 江戸時代後期の囲碁棋士。
文化7年生まれ。安井家8世安井仙知の長男天保(てんぽう)9年9世をつぐ。上手(じょうず)(7段)にすすむ。天保の碁界四傑のひとり。関西遊歴の帰途,安政5年7月8日駿河(するが)(静岡県)沼津で急死した。49歳。江戸出身。幼名は金之助,のち俊哲。著作に「佳致精局」「囲碁捷径」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の安井算知の言及

【碁】より

…なお,碁所の地位を得た者は次の8名のみである。初代本因坊算砂,中村道碩,2世安井算知,4世本因坊道策,4世井上因碩,5世本因坊道知,9世本因坊察元,12世本因坊丈和。江戸時代の家元は算砂を初代とする本因坊家,その跡を継いで碁所に就いた中村道碩を元祖とする井上家,準名人算哲を祖とする安井家,準名人門入(もんにゆう)を祖とする林家の4家である。…

【本因坊】より

…江戸時代,幕府の扶持(ふち)を受けた囲碁家元4家の筆頭。京都寂光(じやつこう)寺の塔頭(たつちゆう)〈本因坊〉の僧算砂(本因坊算砂)を祖とする。4世道策(本因坊道策)は布石理論をひっさげて近代碁の基礎を築き,無敵の5世道知とともに本因坊家の優位を不動のものとした。9世察元は時の6世井上春碩(しゆんせき)因碩(1707‐72)と名人位を争い,紛争をきわめた争碁に勝ち念願の名人となり,本因坊家中興の祖といわれる。…

※「安井算知」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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