安室村
あむるむら
[現在地名]西原町安室・池田
我謝村の北西にあり、東は与那城村、北は小波津村。南に運玉森があり、北に耕地が広がる。絵図郷村帳に安室村とみえる。琉球国高究帳では高頭二四四石余、うち田二一二石余(うち永代荒地七六石余)・畠三二石余。安室掟が置かれていた(琉球国由来記)。「琉球国由来記」にオンタマノ嶽・佐久真ノ嶽・安室火神の三拝所、祭祀場として安里之殿が記載され、我謝ノロが祭祀を管轄した。オンタマノ嶽の拝所は二方にあり、西方の拝所は当村、南方の拝所は大里間切大見武村(現与那原町)にあった。乾隆五五年(一七九〇)津花波村の掛福親雲上の善行を褒賞する功績の一として、住民と協議して当村の住居をやせた土地に移すとともに沃土の宅地を畑に開発したことがあった(「球陽」尚穆王三九年三月一一日条)。
安室村
あじつむら
[現在地名]井波町安室
飛騨屋村の西に位置する散居集落の村。元和五年(一六一九)の家高新帳に「あセち」とみえ、役家数二、戸出又右衛門組に属した。貞享元年(一六八四)の村名由緒書上(加越能文庫)に先年飛騨屋村より「あセち」(畔地は開墾の意か)し、安室村と称したとある。正保郷帳では高六五石余、田方四町三反余、新田高一〇七石余、田方七町一反余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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