安田徳太郎(読み)やすだとくたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「安田徳太郎」の意味・わかりやすい解説

安田徳太郎
やすだとくたろう
(1898―1983)

医師、社会運動家、著述家。京都生まれ。三高を経て京都帝国大学医学部卒業。京大在学中から従兄(いとこ)の山本宣治(せんじ)らと産児制限運動を行い、医療を通して社会運動に参加していった。1930年(昭和5)上京、31年東京・青山に内科病院を開業し、多くの活動家の診療に努めた。32年には共産党中央委員岩田義道(よしみち)の遺体を引き取り、病理解剖に立ち会い、また33年の小林多喜二(たきじ)の拷問死に際しては遺体解剖のため奔走したが警察に妨害されて果たせなかった。同年、共産党シンパの容疑で検挙されたが釈放。その後、転向者を含む獄中被告の救援活動に尽力。42年ゾルゲ事件連座し、44年懲役2年執行猶予5年の判決を受けた。敗戦後、共産党公認で京都から衆院選に出馬したが落選。その後離党して文筆活動に入った。著書に、『世紀の狂人』、ベストセラーとなった『人間の歴史』全六巻、日本人の起源を推理して話題をまいた『万葉集の謎(なぞ)』、自伝的回想『思い出す人びと』など。おもな訳書に、戦前から戦後にかけて改稿を加えたダンネマンの『大自然科学史』全11巻別巻一がある。『山本宣治全集』『同選集』の編集にもあたった。

[小田部雄次]

『『思い出す人びと』(1976・青土社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「安田徳太郎」の意味・わかりやすい解説

安田徳太郎 (やすだとくたろう)
生没年:1898-1983(明治31-昭和58)

大正・昭和期の社会運動家。医者。老舗の長男として京都で出生,従兄山本宣治の感化のもとに成人。京都帝国大学医学部在学中から三田村四郎らの大阪産児制限研究会に関係する。山本の代議士当選に尽力。1931年のソヴェート友の会結成に奔走する。岩田義道,小林多喜二の遺体を内科医として引き取る。このような活動の間にF.ダンネマンの《大自然科学史》(全10巻,別巻1)の翻訳をした。ゾルゲ事件で懲役2年執行猶予5年の判決を受ける。戦後《人間の歴史》全6巻(1951-57),《万葉集の謎》(1955)のベストセラーを著す。E.フックスの《風俗の歴史》の訳業(全10巻)もある。高倉テルは義弟。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安田徳太郎」の解説

安田徳太郎 やすだ-とくたろう

1898-1983 昭和時代の医師,社会運動家。
明治31年1月28日生まれ。高倉輝(てる)の義兄。従兄の山本宣治(せんじ)と産児制限運動をおこない,無産者救済の医療活動にあたる。昭和17年ゾルゲ事件に連座。戦後,文筆活動にはいり「人間の歴史」がベストセラーとなった。昭和58年4月22日死去。85歳。京都出身。京都帝大卒。訳書にフックス「風俗の歴史」,ダンネマン「大自然科学史」(共訳)。

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