岩田義道(読み)いわたよしみち

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩田義道」の意味・わかりやすい解説

岩田義道
いわたよしみち
(1898―1932)

昭和前期の日本共産党の中心的幹部の一人。愛知県葉栗(はぐり)郡北方村(一宮市)に生まれる。1923年(大正12)京都帝国大学経済学部に入学、学生運動に参加し、逸見重雄(へんみしげお)らと社会科学研究会を結成。25年12月に起きた京大学連事件で治安維持法違反に問われ、禁錮10か月の判決を受けた。その後上京して産業労働調査所に入所。28年(昭和3)2月ごろ共産党に入党し、『無産者新聞』の編集を担当するなど、三・一五事件(1928)、四・一六事件(1929)後の党再建活動に携わった。31年1月、風間丈吉(かざまじょうきち)、紺野与次郎(こんのよじろう)らとともに共産党中央委員会を再建。農民運動を担当し全農全会派の運動などを指導するとともに、機関紙『赤旗』の編集活動に従事し、32年4月その活版化を実現した。同年10月30日、中央委員会に潜入していたスパイMこと松村昇(飯塚盈延(いいづかみつのぶ))の手引きによって、東京・千代田区神田(かんだ)の路上で逮捕され、特高警察による拷問を受けて、11月3日虐殺された。

[佐瀬昭二郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「岩田義道」の意味・わかりやすい解説

岩田義道 (いわたよしみち)
生没年:1898-1932(明治31-昭和7)

社会運動家。愛知県生れ。代用教員のあと松山高等学校を経て1923年京都帝国大学経済学部に入学。河上肇教授に師事し伍民会を結成する。27年5月京大学連事件で禁錮10ヵ月の判決を受けたが控訴し,同年上京して産業労働調査所所員となる。28年日本共産党に入党,三・一五事件直後に中国上海に渡りコミンテルンと連絡をとる。8月逮捕され,30年10月偽装転向で出獄,党中央委員となり党再建に従事する。32年10月検挙され警視庁での拷問により死亡
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩田義道」の解説

岩田義道 いわた-よしみち

1898-1932 昭和時代前期の社会運動家。
明治31年4月1日生まれ。大正12年京都帝大にはいり河上肇(はじめ)に師事。15年学連事件にかかわる。昭和3年共産党に入党。三・一五事件のあと党の中央委員となり,党再建につとめる。7年スパイM(飯塚盈延(みつのぶ))と連絡中に検挙され,同年11月3日拷問により死去。35歳。愛知県出身。

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世界大百科事典(旧版)内の岩田義道の言及

【学連事件】より

…この年,小樽高商事件などを契機に早大,東大その他全国の大学などで反軍運動が高まっていたが,12月1日,京都府警の特別高等警察は,同志社大学での軍事教練反対ビラの掲示を口実に同志社大と京大の学生33名を検挙したが,証拠不十分で釈放した。しかし,警察当局は,学連大会の決定が治安維持法,出版法などに違反するとして,翌26年1月から4月にかけて京大はじめ学連の中心メンバーを検挙し,岩田義道,鈴木安蔵,石田英一郎ら京大学生20名ほか村尾薩男,野呂栄太郎,林房雄など計38名を起訴した。これと同時に河上肇,河野密,山本宣治,河上丈太郎らの教授も家宅捜索を受けた。…

※「岩田義道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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