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定智 じょうち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

定智
じょうち

12世紀中頃の絵仏師。初め園城寺法輪院の覚猷のもとで密教図像の書写収集に努め,のち高野山醍醐寺に在住して,仏画制作に活躍した。久安1 (1145) 年に描いた『善女竜王像』 (国宝) が高野山金剛峰寺に現存,新来の宋画に基づいて,鋭く伸びやかな墨線を駆使した画風を示す。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

定智 じょうち

?-? 平安時代後期の画僧。
園城寺(おんじょうじ)法輪院の覚猷(かくゆう)に協力して密教図像を収集。長承元年(1132)落成の高野山大伝法院の壁画を,宅磨為遠(ためとお)とともに制作した。作品に「善女竜王像」(金剛峰寺)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

定智

生年:生没年不詳
平安後期に活躍した画僧。鳥羽僧正覚猷が企てた密教の白描図像収集に協力したことが知られるほか,「仁王経五方諸尊図」(東寺蔵)など多くの白描図像にその名が残る。長承1(1132)年に落成した高野山大伝法院の壁画制作が文献上の初出で,以後主に高野山や京都醍醐寺などの真言宗寺院で活動した。高野山金剛峯寺に伝わる「善女竜王図」は,表装裏にあった押紙(付箋)の墨書や『高野山文書』などの文献により久安1(1145)年に定智が描いたことが確実な作品であるが,装飾主体の同時期の仏画のなかにあって鋭い墨線に特徴を持つ異色作として著名であり,定智の画技の高さを今に伝えている。

(矢島新)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

じょうち【定智】

平安後期(12世紀前半)の画僧。生没年不詳。はじめ三井寺法輪院の覚猷の下で密教図像の収集に協力し,のち醍醐寺,高野山に移り作画に携わる。1132年(長承1)落成の高野山大伝法院の壁画制作に当たった。45年(久安1)の《善女竜王像》(金剛峯寺)が現存し,年代と作者の確定できる平安時代唯一の作例である。〈善女竜王〉とは弘法大師空海が824年(天長1)神泉苑に雨を祈ったとき,愛宕山上に出現した竜王であると言い伝えられている。

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