宝成就寺跡(読み)ほうじようじゆじあと

日本歴史地名大系 「宝成就寺跡」の解説

宝成就寺跡
ほうじようじゆじあと

[現在地名]玉名市高瀬 談議所町

繁根木はねぎ川の左岸近世高瀬たかせ町中央部の談議所だんぎしよ町にあった真言宗寺院。不二山平等院と号し、本尊は虚空蔵菩薩。談議所があったので町名ともされる。京都大覚だいかく寺末。「国誌」や同書所引の寺記によると、延喜四年(九〇四)京都醍醐寺開山の聖宝が鎮西真言の根元道場として創建後年の火災によって観応二年(一三五一)頃に快承が再興したために中興とする。「一統志」は快承を開山とする。「国誌」によると本尊・脇侍の不動・愛染像は唐の薫祥の作、方丈の本尊不動像は紀州根来ねごろ寺の覚鑁の作という。また永正元年(一五〇四)炎上し大永元年(一五二一)快空が再興、以来、慶長(一五九六―一六一五)頃まで灌頂・学問論議などを毎月三回行ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android