宝陀寺(読み)ほうだじ

日本歴史地名大系 「宝陀寺」の解説

宝陀寺
ほうだじ

[現在地名]宇佐市麻生 仙人

中麻生なかあそう地区の仙岩せんがん山麓字仙人せんにんにある。仙岩山と号し、曹洞宗。養老元年(七一七)仁聞による草創と伝える。当寺の奥院は仙岩山おくノ堂と称し、皇極天皇元年に天竺から渡来した僧法道が聖観音および不動・毘沙門の三像を安置した所といわれ、この三像を本尊とする。文明年間(一四六九―八七)山頂から麓に寺を移し、旧地は奥院おくのいんと号し境内に鎮守社を建てたという(「宝陀寺玄了口上書控」麻生家文書)。草創以来修験系の寺堂であったと考えられるが、康正年間(一四五五―五七)竺心の代に禅宗に改め、羅漢らかん(現本耶馬渓町)末寺となったという(「禅源寺年代記録」など)。文明一〇年八月一七日の大内政弘寄進状(山口文書)によると、横山よこやま浦内の「松原参町」の地が寄進されている。


宝陀寺
ほうだじ

[現在地名]大田村沓掛

上沓掛の穴野かみくつかけのあなのに所在。蟠龍山宝陀寺と号し、臨済宗東福寺派。本尊は釈迦如来寺地は天台宗清水せいすい(弘安六年五月一〇日「関東御教書」稙田広文書に中尾清水寺とみえる)跡地と推定され、観応二年(一三五一)創建とされる。開基は沓掛城主の田原直平で、開山萬寿まんじゆ(現大分市)の開山直翁の弟子悟菴。足利義満の時に諸山に列せられている。文和二年(一三五三)一〇月二日の比丘尼くうゑん寄進状案(永弘文書)に「たわらのはうたし」とあり、田染たしぶ庄長野(現豊後高田市)観音寺敷地および田畠林などが当寺に寄進されている。応永二二年(一四一五)の田染庄段銭結解状(同文書)に「一貫六百文つねすへミやう・たけつねミやう五百文ほうたつし(宝陀寺)」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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