日本歴史地名大系 「宮前町」の解説 宮前町みやまえちよう 神奈川県:小田原市小田原城下宮前町[現在地名]小田原市本(ほん)町一―三丁目高梨(たかなし)町の西、本町の東、東海道沿いの通町で、小田原総鎮守松原(まつばら)大明神の宮前にあたる。戦国時代の小田原城下町の中心。初め上下町に分れていた。永禄九年(一五六六)五月二二日の北条氏康朱印状(県史三)に正木権五郎結番として「宮前下町者之内、有分別かいかい敷者を、五人も十人も書立、其内を二人、一日一夜充可申付」ことを「宮前下町奉行賀(加)藤」に命じ、また天正一〇年(一五八二)四月二七日の北条家掟書(同書)に、<資料は省略されています>とあり、「宮前町賀藤」に他国参集者の出入報告を命じている。 宮前町みやまえちよう 北海道:渡島支庁函館市旧函館区地区函館宮前町[現在地名]函館市宮前町など昭和六年(一九三一)九月に設定された町で、松川(まつかわ)町の北東に位置する。町域は旧亀田(かめだ)村の中心地であった亀田八幡宮の宮前地区にあたり、それまでは函館区大字亀田村字村内(むらうち)の一部であった(函館市字地番改正調書)。当町の成立を契機に明治三四年(一九〇一)に創建されたカトリック亀田教会は宮前町教会と改称。昭和一〇年の世帯数五〇一・人口二千五六六。 宮前町みやまえちよう 兵庫県:神戸市兵庫区大輪田泊・兵庫津宮前町[現在地名]兵庫区七宮町(しちのみやちよう)一―二丁目・本町(ほんまち)一丁目鍛冶屋(かじや)町の北に接する北浜の町で、町の東は海に面する。慶長七年(一六〇二)の兵庫屋地子帳(兵庫岡方文書)に町名がみえ、屋敷地五二筆。浜寄りに魚市場があり(明治二年「兵庫津絵図」神戸市史)、「摂津名所図会」に「これより西の方の漁者、船をここに寄せて、毎朝諸魚の市あり、ここよりまた京師・大坂へ早船にて運送し市に商ふ」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
防府市歴史用語集 「宮前町」の解説 宮前町 神社の前に開けた町です。神社におまいりする客が集まってきたことで、だんだんと町ができあがっていきました。 出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報 Sponserd by