日本歴史地名大系 「宮崎神社」の解説
宮崎神社
みやざきじんじや
社伝によれば観応年間(一三五〇―五二)毛利元春が相模国宮崎より勧請したとあり、毛利氏の氏神として尊崇が厚く、「閥閲録」所収の毛利家家臣の起請文には相合八幡大菩薩と書かれているものもある。「国郡志下調書出帳」によれば、高師直が石州の佐和善四郎との合戦の時、毛利師親(元春)に先陣を命じたが、「師親江の川の先陣たりし時に石一つ浮上りて師親の鐙にかかる、何心なく取捨けるに、終に三度に及ひぬれは偖は八幡宮の奇瑞なりとて、彼石を懐にしてなんなく江の川を一番に打渡」るとあり、このため師親がこの社を勧請し、霊石を本殿に納めたと記される。
宮崎神社
みやざきじんじや
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報