20世紀日本人名事典 「宮川経輝」の解説
宮川 経輝
ミヤガワ ツネテル
- 生年
- 安政4年1月17日(1857年)
- 没年
- 昭和11(1936)年2月2日
- 出生地
- 肥後国阿蘇郡宮地村(熊本県一の宮町)
- 別名
- 号=蘇渓
- 学歴〔年〕
- 同志社英学校〔明治12年〕卒
- 経歴
- 阿蘇の神官の家に生まれる。明治5年熊本洋学校に入学、ルロイ・ランシング・ジェーンズに接してキリスト教に入信。9年同志35名と花岡山で奉教結盟を結び誓約した中心人物の一人で、熊本バンドの一人となる。同年ジェーンズから受洗。10年同志とともに同志社英学校に転入学。卒後同志社女学校の教師を経て、15年日本組合基督教会大阪教会の牧師となり、43年間務めた。説教にすぐれ、大阪の知識人を教会にひきつけて大教会とした。また日本基督伝道会社委員として全国各地を巡回伝道するとともに、その伝道地域は朝鮮、満州、ハワイ、米国西海岸にまでおよんだ。33年「大阪講壇」(のち「生命」と改称)を創刊。大正14年退職後、名誉牧師となる。小崎弘道、海老名弾正と共に日本組合基督教会の3偉人(3元老)と称された。著書に「活基督」「ヨハネ伝講義」「牧会百話」「宮川先生説教集」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報