ジェーンズ(読み)じぇーんず(英語表記)Le Loya Janes

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジェーンズ」の意味・わかりやすい解説

ジェーンズ
じぇーんず
Le Loya Janes
(1838―1909)

熊本のプロテスタント・グループ熊本バンド生みの親となったアメリカ人教育者南北戦争歴戦の勇士で、砲兵大尉であったが、1871年(明治4)フルベッキの勧めで熊本洋学校教師として来日、アメリカ陸軍兵学校(ウェスト・ポイント)式の厳しい教育を行った。同時に自宅で聖書講義を開き、1年後には強固な信仰のグループを育成するに至った。このなかには、明治・大正期のキリスト教の代表的指導者海老名弾正(えびなだんじょう)、近代の代表的ジャーナリストで評論家徳富蘇峰(とくとみそほう)らがいた。彼のキリスト教は倫理的実際的色彩の強いものであったといわれる。のち大阪英学校に転じ、いったん帰国後1893年(明治26)に再来日し、第三高等学校の英語教師を務めた。

[金井新二 2018年2月16日]

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改訂新版 世界大百科事典 「ジェーンズ」の意味・わかりやすい解説

ジェーンズ
Leroy Lansing Janes
生没年:1838-1909

アメリカの教育家。陸軍士官学校を卒業,南北戦争に従軍し,士官学校で教え,大尉として退官した。熊本藩の招きで,西欧の学問を教えるために1871年来日し,熊本洋学校の教頭となった。キリスト教的信念に立つ全人格教育を唱え,寄宿舎で学生と生活を共にし,厳しいが豊かな愛情で生活訓練をし,彼らの品性と能力をひき出す開発教育をした。海老名弾正,徳富蘇峰ら彼の感化によりキリスト教に入信し,多方面で活躍した者は多い。76年洋学校は廃校となり,彼は大阪英語学校,第三高等中学などでそれぞれ短期間教えた。宣教師との対立もあり,99年ころ帰国,晩年は不遇であった。
熊本バンド
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェーンズ」の意味・わかりやすい解説

ジェーンズ
Janes, Leroy Lansing

[生]1838.3.27. オハイオ,トレントン
[没]1909.3.27.
アメリカ人の御雇外国人教師。南北戦争に従軍,砲兵大尉となり退役。のち横井太平の依頼により G.F.フェルベックの紹介で 1871年熊本洋学校に招かれて来日,英語を教えたが,教職のかたわら,日曜ごとに自宅で聖書の講義を行い,熊本バンドを組織し,小崎弘道,宮川経輝,横井時雄,金森通倫,海老名弾正,浮田和民,徳富猪一郎 (蘇峰) らを育てた。 76年大阪英語学校に転じ,2年後いったん帰国しミシガン州アナーバーで農耕に従い,93年から2年間第三高等中学校,96年には鹿児島高等中学造士館,97年から2年間再び第三高等学校に,それぞれ英語教師として在日した。遺著に『熊本』がある。

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朝日日本歴史人物事典 「ジェーンズ」の解説

ジェーンズ

没年:1909.3.27(1909.3.27)
生年:1838.3.27
熊本洋学校教師。熊本バンドの生みの親。アメリカ・オハイオ州の生まれ。退役陸軍砲兵大尉。明治4(1871)年お雇い教師として来日。英国ラグビー校風の教育をもって強い影響を与え,9年,生徒35人が郊外花岡山でキリスト教をもって祖国を救おうという奉教趣意書に署名・誓約をした。これが原因で洋学校は閉鎖されるが,その多くは京都同志社英学校に移って熊本バンドと呼ばれ,その中から,宮川経輝,金森通倫,徳富蘇峰,海老名弾正,横井時雄など,のちに宗教界のみならず政財界,言論界に活躍する特異な人材が輩出した。<参考文献>田中啓介他編『ジェーンス熊本回想』

(村井実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ジェーンズ」の解説

ジェーンズ Janes, Leroy Lansing

1838-1909 アメリカの教育者。
1838年3月27日生まれ。明治4年(1871)熊本洋学校教師として来日。自宅で聖書を講義し,教えをうけた海老名弾正,徳富蘇峰ら35名がキリスト教に入信,熊本バンドを結成した。これが原因で洋学校は閉鎖され,10年帰国。26年再来日し,三高などで英語教師をつとめた。32年帰国。1909年3月27日死去。71歳。オハイオ州出身。陸軍士官学校卒。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ジェーンズ」の解説

ジェーンズ
Leroy Lansing Janes

1838.3.27~1909.3.27

御雇アメリカ人教師。陸軍士官学校で学び,退役後の1871年(明治4)フルベッキの仲介で熊本洋学校の教師として来日,全学科を1人で担当した。76年彼の教えでキリスト教に入信した青年たちが熊本バンドを結成。熊本洋学校廃校後は大阪英語学校教師をへていったん帰国,93年に再来日して第三高等中学校などの英語教師を務めた。カリフォルニア州で死去。

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世界大百科事典(旧版)内のジェーンズの言及

【熊本バンド】より

…熊本洋学校は横井小楠の流れをくみ,洋学を教え,国家に有為の人物養成を目ざして自由で規律ある開発教育をした。その教学上の責任者ジェーンズの感化でキリスト教に入信した35名は,1876年奉教趣意書に署名し,キリスト教による人民の啓蒙教化を誓い合った。このため迫害が起こり,彼らの多くは同志社に移った。…

※「ジェーンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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