富士の人穴(読み)ふじのひとあな

改訂新版 世界大百科事典 「富士の人穴」の意味・わかりやすい解説

富士の人穴 (ふじのひとあな)

御伽草子。《仁田四郎》《富士の人穴草子》ともいう。正治年間(1199-1201),和田平太胤長は源頼家の命を受け,見知る者のない富士の人穴に入るが,十二単衣に身を飾り機を織る女房が現れ出て追い返されてしまう。頼家は御諚を再び天下に下し,伊豆国の新田(仁田)四郎忠常(忠綱)が2人の子のために十分な所領を残そうと名乗り出て,りっぱな装束に身をかため人穴に赴き,毒蛇の姿の富士浅間大菩薩に遇う。夜昼3度ずつ六根に苦しみを持つ毒蛇に,頼家から賜った重宝の太刀,刀を献上すると,大菩薩は毒蛇から童子に変化し,新田を地獄,餓鬼畜生修羅,人,天の六道に案内する。新田は,娑婆(しやば)での罪業によりさまざまな責め苦を受ける者や善根によって極楽浄土へ赴く者の姿,また閻魔の庁や〈ゆさん〉のさまをまのあたりに見,帰りぎわに大菩薩から,今生(こんじよう)にては善根を施すべきことを人に触れるよう,また大菩薩の姿や地獄極楽のありさまは3年3月を経てから語るように告げられる。新田の物語を聞いた頼家はたいそう喜び,なおも人穴の中での不思議を語ることを命ずる。大菩薩との約束を違えて人穴のようすを語りおえるや,新田は頼家もろとも命を失う。絵巻丹緑本など伝本も豊富である。《吾妻鏡》建仁3年(1203)条に,新田四郎忠常が人穴を探ったことが見えているが,当時の口承文芸投影であろうといわれ,新田の冥府巡りの語りには,富士道者関与が考えられる。
仁田忠常
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の富士の人穴の言及

【人穴】より

…火山のふもとなどにある洞穴,すなわち溶岩トンネルのことで,富士山の西北麓の〈富士の人穴〉が有名である。《吾妻鏡》に,建仁3年(1203)6月3日源頼家の富士の巻狩りの際に,新田四郎忠常(仁田忠常)がこの人穴を探るよう命じられ,主従6人で行くが,穴の奥に大河があり,波が逆巻いていて渡れず,そこでたいまつで川向うを照らすと奇特が見えた。…

【御伽草子】より

… 御伽草子は,読むものであると同時に語るものであり,また見て楽しむものでもあった。《文正草子》や《弥兵衛鼠(やひようえねずみ)》の末尾に〈めでたいことのはじめ〉に読むがよいとか,《浦島太郎》の末尾に夫婦男女の契り深い例についてふれてあったり,《富士の人穴》の末尾に草子を聞く人また読む人の功徳を強調しているなどは,語り手や聴衆のおもかげや,御伽草子のもつ文学性以外の機能などを具体的に示す部分として注目してよい。〈トギ(伽)〉の語源の追求や,絵屋,絵草子屋の実態究明も急務とすべきである。…

【仁田忠常】より

…これは《吾妻鏡》建久4年(1193)5月28日条にものる史実ではあるが,先の猪(山神)を葬ったのと併せて,十郎を討ち取ったのが忠常であることを考えると,忠常の不慮の死は,十郎のたたりの結果生じたものとして伝承世界の中で書き変えられたといえよう。室町末期の成立といわれる《富士の人穴》の草子には,将軍頼家の命を受けた新田(仁田)四郎忠綱(忠常)が,富士の御神体である浅間権現の案内で,穴中地獄にかたどられた富士の人穴を見て回るという構成になっている。〈穴中地獄の様子を語るな〉と権現からいわれながら,禁忌を破って頼家に語ったために忠綱は命を失う。…

※「富士の人穴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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