( 1 )[ 一 ]は、古代インド神話では、夜摩 Yama 神で、みずから冥界を見いだし、死者の王となった。天上の楽土とされたが、後に下界に転じ、死者の生前の行為を審判する神とされた。これが仏教にはいり、一は六欲天の一つ、夜摩天となり、他は冥界の閻魔王となったもので、のち、中国にはいって、道教などと混じて、五官王、八王、十王などの説を生じ、特に裁判官である十王の一つとされた。住所は餓鬼界とするものなど、幾つかの説があるが、後に地獄界とするようになったもので、赤血色の衣をまとい、冠をかむり、目を怒らせ、手に罪人を縛る縄を持つ姿が、閻魔の一般的イメージである。
( 2 )「閻摩・琰摩・閻羅(えんら)・閻摩羅(えんまら)」など、種々の表記・呼び方のあることは、「一切経音義(玄応音義)」等の仏書から確認でき、「今昔‐六・三九」の表題に「閻魔」と記されながら、本文では「閻羅」となっているように、一つの作品、一つの話の中で併用されていることもある。
閻魔は冥府の王として仏教とともに日本に入り,恐ろしいものの代名詞とされたが,地蔵菩薩と習合して信仰対象にもなった。奈良時代には閻羅王と書かれ,まれに閻魔国とも書かれている(《日本霊異記》)。閻羅は閻魔羅闍(えんまらじや)Yama-râjaの略で,閻魔王の意味である。これは《仏説閻羅王五天使経》または《閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経》に拠ったものであろう。後者は《預修十王経》とも呼ばれるように,閻魔王のほかに9王を加えて10王とし,閻魔王を裁判長として陪審の形をとっている。しかし奈良時代までは閻羅王使の鬼が死者を迎えに来て閻羅王宮に引き立て,その裁判によって地獄の責苦を受けることになる。このような閻魔はインドの冥界の主が仏教の中に入って,勧善懲悪,または因果応報の唱導に利用されたものである。したがって中国でもすでに本地は地蔵菩薩であるという信仰が生まれ,死者救済を願うために信仰されるようになった。すなわち日本では閻魔十王と三仏を十三仏にあてて,初七日忌から三十三回忌までの供養本尊とする。この場合は閻魔は五七日忌の供養本尊となり,地蔵菩薩としてまつられる。しかし一方,唱導説話や地獄変相図の中では,依然として恐ろしい形相で罪ある死者を呵責する冥府の王であった。閻魔十王の造像は鎌倉時代からおこなわれ,閻魔堂に安置された。鎌倉円応寺や奈良白毫寺の閻魔十王はその古い作例である。これが近世になると村々に閻魔堂ができ,閻魔十王と葬頭河婆(そうずかば),鬼,浄玻璃(じようはり)鏡,業秤(ごうのはかり)などの像が一具としておかれるようになる。そして葬送にあたってはここに死者の衣類を供えて,滅罪を願う習俗が一般化した。この信仰が失われたところでは,閻魔十王像はほこりにまみれて放置されているものが多い。しかし信仰の生きているところでは,正月とお盆月の16日は閻魔の縁日で,地獄の死者の宥恕される日としており,これを藪入りといっている。この日地獄変相図が閻魔堂にかけられる。
→三途(さんず)の川
執筆者:五来 重
インドに起源するとされるヤマYama王の信仰伝承は,仏典を通して中国に伝えられた。漢訳仏典ではその名が音訳されて,閻魔,焰摩,琰魔,閻羅,閻摩羅などと表記され,また平等に罪を治するという職務から平等王とも訳される。死後の世界の支配者として,生前の善悪の行に従って死者に裁きをあたえるとされる。中国伝来以後,中国土着の冥界観念と習合し,元来は持たなかった性格が付加され,民衆に親しい神として,中国撰述の偽経仏典や小説,俗文学の作品の中に,中国的な様相の閻魔王の姿を見ることができる。魏晋南北朝時代にすでに閻魔王は,中国土着の冥府の支配者である太(泰)山府君と同化していたとされ,唐代初年の,唐臨《冥報記》では,中国的な天帝の下,太山府君の上に位を占める神と位置づけられている。さらに唐末の,杜光庭《道教霊験記》では,道教説話の中に閻羅王が出現し,中国人が閻羅の職務についたとされている。閻魔が罪人を裁く裁判官としての風貌を強くおびるようになるのも中国的な着色であろう。死者の裁判官としての閻魔は,唐末から五代の時期に,死者に対する7日ごとの供養と結びついて,冥府の十王(ほかに秦広,初江,宋帝,伍官,変成,泰山府君,平等,都市,転輪)の一人となる。十王の組織は,当時の民衆的な冥府の神々を基礎にして形成されたもので,閻魔王も道教的な神々と席をならべることになるのである。ちなみに閻魔の異称である平等王も,別に十王の一人に加えられている。閻魔をふくむ十王の観念は,中国の民衆信仰の中に長くうけつがれ,現在も,死者の供養に際しては《地蔵十王図》がかかげられることがあるという。
→ヤマ
執筆者:小南 一郎
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冥界(めいかい)を支配する死の神の名称。サンスクリット語ヤマyamaの音写で、閻魔王(ヤマラージャyama-rāja)ともいう。ほかに炎摩、焔摩、琰魔、閻摩羅(えんまら)、閻摩羅社、琰摩羅闍(えんまらじゃ)、閻羅(えんら)と音訳。ヤマとは罪人を縛するという縛(しばり)の義、つねに苦楽の二つの報いを受けるという双世の義、兄と妹(ヤミーyamī)の2人が並んで王であるという双王の義、平等に罪を治するという平等王の義、罪悪を止めるという遮止(しゃし)の義、諍(いさか)いを止め悪を息(や)めるという諍息(そうそく)の義などがある。すなわち、生きとし生ける者(衆生(しゅじょう))の罪を監視し、死者の罪を判ずる冥界の総司である。ベーダ時代のインド神話では、妃(きさき)ヤミーと双生神で、正法(しょうぼう)の神、光明の神とされたが、人界最初の死者であったために冥界の支配者と考えられた。仏教においては、餓鬼界(がきかい)の主、地獄界の主となり、勧善懲悪の判官として琰魔法王(ほうおう)と称されるに至った。衆生の悪業(あくごう)によって報いとして現れた身(悪業所感(あくごうしょかん)の身)であるとも、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)の化身(けしん)であるともいう。中国では道教の思想と結合して、冥府で死者の生前の罪業を裁くという十王の一に数えられた。密教では天部(てんぶ)の一衆とされ、温容な姿で示される。
[伊藤瑞叡]
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…地蔵は,毎月24日,とくに7月24日は地蔵盆となっている。閻魔(えんま)は,1月と7月の16日で,正月の初閻魔や盆の16日は,民俗的なやぶ入りの日と重なっている。この日〈地獄の釜のふたがあく〉という表現もある。…
…死後の迷いの世界を幽冥とするのは仏教本来のものではなく,道教の冥府(めいふ)の信仰との習合によるものである。閻羅王(または閻魔王,閻魔)をはじめとする十王や多くの冥官(冥府の役人)によって亡者は罪を裁かれ,それ相応の苦しみに処せられると信じられるようになったのは,おそらく中国の唐末期,9世紀後半からであろう。冥途における閻羅王の断罪から亡者を救う地蔵菩薩の信仰や,年に1度,中元の季節に亡者がこの世の家族のもとへかえって供養をうけるという盂蘭盆(うらぼん)会,亡者を救うための施餓鬼(せがき)の法会,年回忌の法要・供養等は,すべて冥途における亡者の,苦しみから逃れたいという願いによるものである。…
※「閻魔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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