江戸時代初期の絵本の一種。絵巻物の流れを汲む奈良絵本は彩色の肉筆絵本であったが,丹緑本は墨刷りの版本に簡単な彩色を施したものをいう。色刷りが未発達であったころに,同じ図柄の絵本を複数製作するために行われたもので,丹絵(たんえ)(浮世絵)と手法を同じくする。初めは赤(丹)だけであったが,加えて緑(緑青(ろくしよう)),黄,藍なども使うようになり,ゆえに丹緑本という。寛永(1624-44)ころには盛んに行われた。同一の版本で丹緑の彩色を加えたもののほか,墨刷りのままのものもある。その後に紅絵,紅摺絵(べにずりえ)が現れ,さらに技術が進んで錦絵が現れるにいたって,18世紀中ころまでに丹緑本はすたれた。
執筆者:上田 弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
書誌用語。江戸時代初期、挿絵に筆で彩色を加えて刊行された絵入りの版本をいう。挿絵に丹(に)、緑、黄など3種ないし4種の色を大まかにつけたもので、内容は『保元(ほうげん)物語』『平治(へいじ)物語』などの軍記物、幸若舞曲(こうわかぶきょく)、御伽草子(おとぎぞうし)、仮名(かな)草子、説経、古浄瑠璃(こじょうるり)などである。西欧の手彩色の刊本に影響されて成立したとする説が有力であるが、なお仏教版画や中国の筆彩本との関係も説かれている。明治に入って「ゑどり本」の名でよばれ、丹緑本の名称の一般化したのは大正末年ごろからである。絵草紙(えぞうし)屋の職人などが着彩したと思われる素朴な彩色は、不思議な魅力をたたえて、愛好者も多い。
[神保五彌]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代初期の絵本の一種。絵巻物の流れを汲む奈良絵本は彩色の肉筆絵本であったが,丹緑本は墨刷りの版本に簡単な彩色を施したものをいう。色刷りが未発達であったころに,同じ図柄の絵本を複数製作するために行われたもので,丹絵(たんえ)(浮世絵)と手法を同じくする。…
…一方,そうした古典文学を版刻普及しようとする豪華な嵯峨本とは別に,町の版元による大衆的な読み物,御伽草子や仮名草子の絵入り版本の刊行も,はじめ京都におこり,やがては大坂や江戸にひろがりながら,しだいにさかんとなっていった。それらは墨摺の挿絵が普通であったが,丹と緑,黄などの数色でかんたんに筆彩色された〈丹緑本〉という形式も喜ばれ,文学と絵画の鑑賞を同時に楽しもうとする享受の仕方が,大衆的な次元でも実現されるようになった。
[浮世絵版画の独立]
江戸における大衆向け絵入り版本の需要は,はじめもっぱら上方版の輸入によってみたされていたが,明暦3年(1657)の大火以後の都市復興の活況の中で,江戸の版元(地本問屋)による版行もさかんとなり,版下絵師も数多く育てられることとなった。…
…夏の陣,冬の陣を描いた《大坂物語》が1615年(元和1)に出て以来,新作が仮名草子で発行されるようになったが,ほとんど店名も刊年も入れていない。この中に絵を入れ朱,黄,緑,紫を単純に手彩色したものを丹緑本(たんりよくぼん)といった。作者で有名な人物に浅井了意(《御伽婢子(おとぎぼうこ)》1666)や鈴木正三(《二人比丘尼(びくに)》1664)らがおり,寛永年間に早くから出版を始めた有名な書店としては敦賀屋九兵衛,風月庄左衛門,村上勘兵衛,山本九兵衛,永田調兵衛など名家がある。…
※「丹緑本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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