朝日日本歴史人物事典 「寿窓元貞」の解説
寿窓元貞
生年:寛永7(1630)
江戸前期の黄檗宗の尼。号は松雲院。摂津国尼崎藩(兵庫県)藩主青山幸利の娘。松平信綱の5男信興の妻。信興は常陸国土浦(茨城県)3万2000石を領し,大坂城代や京都所司代を歴任したが,元禄4(1691)年閏8月に死没。夫の没後に鉄牛道機のもとで出家,鉄牛の死後に弟子の別峰元見のもとで付法された。正徳2(1712)年,幕府が江戸寺庵復興を許可したおり,円応寺の再興を目論んだ。円応寺は延宝5(1677)年,別峰が鉄牛を開山に中興した禅院であったが,寿窓は師の志を継ぎ,富商広瀬嘉左衛門を開基に本堂,庫裡,山門を建立した。自らも本尊と梵鐘を寄進,正徳2年12月に大覚山円応院と号した。没後,武蔵国新座郡(埼玉県)平林寺に葬られた。<参考文献>『江戸黄檗禅刹記』5巻
(岡佳子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報