小倉常吉(読み)オグラ ツネキチ

20世紀日本人名事典 「小倉常吉」の解説

小倉 常吉
オグラ ツネキチ

明治〜昭和期の実業家 小倉石油社長。



生年
慶応1年9月(1865年)

没年
昭和9(1934)年1月1日

出生地
武蔵大里郡(埼玉県)

旧姓(旧名)
柴崎

経歴
12歳で上京、日本橋水油問屋・長谷川商店の小僧となり、私塾最上舎で漢学数学、英語を学ぶ。明治22年独立して石油販売業をはじめ、のち日本精油石油を買収、全国灯台の石油の一手納入権を得た。35年新潟原油採掘に着手、のち製油工場建設、秋田県豊川油田採掘法が成功。第1次世界大戦後、原油の輸入精製に取り組み、大正14年小倉石油を設立(昭和16年日本石油合併)。新潟、秋田に油田を持ち、横浜東洋一の精油所を造り、原油積取汽船も数隻所有するなど大石油会社に育て上げた。また石油の一斗缶を考案したことでも知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小倉常吉」の意味・わかりやすい解説

小倉常吉
おぐらつねきち
(1865―1934)

石油産業の企業家。埼玉県深谷に生まれる。13年間東京の水油問屋に奉公したのち独立。やがて灯油販売を開始し、1895年(明治28)小倉石油店と改称した。灯油の販売網を拡大し、さらに精製から新潟、秋田原油の生産へと一貫化に成功した。しかし原油不足に苦しみ、せっかくの販売力を生かせなかった。第一次世界大戦後、世界的原油供給増と油価低落傾向に着目、原油輸入を開始して、日本で初めて輸入原油精製方式の導入に成功した。1925年(大正14)小倉石油株式会社を設立、社長として経営を独裁し、最新鋭の横浜製油所の建設などによる技術力の向上に、優れた販売力を結び付け、当時業界首位であった日本石油に迫る成長を達成させた。

[森川英正]

『奥田英雄著『小倉常吉伝』(1976・同書刊行会)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小倉常吉」の解説

小倉常吉 おぐら-つねきち

1865-1934 明治-昭和時代前期の実業家。
慶応元年9月生まれ。明治22年石油販売業をはじめる。第一次大戦後,原油の輸入と精製に取りくみ,大正14年小倉石油を設立(昭和16年日本石油と合併)。横浜に東洋一の精油所をつくった。石油の1斗缶を考案。昭和9年1月1日死去。70歳。武蔵(むさし)大里郡(埼玉県)出身旧姓は柴崎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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