小坂宿
こさかしゆく
[現在地名]国見町小坂
江戸時代の羽州街道の宿。南方の桑折宿(現桑折町)と北方の小坂峠(標高四四一メートル)を越えて至る上戸沢宿(現宮城県白石市)の間に位置。元和八年(一六二二)秋田藩主佐竹義宣が徳川秀忠の命によって、桑折宿から小坂峠、関(現宮城県七ヶ宿町)、出羽山形への街道・宿駅を六〇間の縄で丈量しており(「梅津政景日記」同年六月一五日条)、この頃から整備が進められたものとみられる。明暦二年(一六五六)金山峠(現宮城県・山形県境)の改修が行われ、出羽方面の大名が小坂宿を利用することが多くなったとされる(上山市史編集資料)。この頃、字前田の佐藤兵右衛門の尽力により新たに峠への道が造られ、このとき佐竹義宣より五組の木杯が下されたという(小坂村郷土誌)。その後、文久二―四年(一八六二―六四)に北半田村(現桑折町)の名主で小坂村兼帯名主でもある早田弘道(伝之助・万七)が再度新道を造り、この道が昭和四二年(一九六七)まで使用された。
小坂宿
おさかしゆく
[現在地名]小坂町小坂町
久々野村(現大野郡久々野町)から四里、萩原町村(現萩原町)に三里の距離にある飛騨街道の馬継場。金森氏入部後天正年間(一五七三―九二)に河内路が開かれて飛騨街道の本道が飛騨川沿いに移ったのち、馬継場となったとみられる。年不詳の小坂町村古絵図面(小坂町教育委員会蔵)には街道南側に郷蔵・問屋、北側山寄りに本陣・制札場などが描かれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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