日本歴史地名大系 「小夜中山」の解説
小夜中山
さよのなかやま
〔古代・中世〕
東海道の難所の一つで、歌枕としても知られる(「五代集歌枕」「八雲御抄」など)。「古今集」巻一二の恋歌に友則の「東路のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ」の歌が載り、巻二〇の東歌には甲斐歌として「甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく横をりふせるさやの中山」とある。また「新古今集」巻一〇の羇旅歌に載る「年たけて又こゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜の中山」は西行の歌として有名で、文治二年(一一八六)に奈良東大寺修理勧進のために陸奥に赴いた際に詠んだものといわれる。このように古代・中世の多くの歌集に詠まれる一方、紀行文にもしばしば登場する。菅原孝標女は寛仁四年(一〇二〇)九月の回想として、「更級日記」に「とうたうみにかゝる、さやの中山など越えけむほどもおぼえず」と記しており、貞応二年(一二二三)四月一二日に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報