小夜中山(読み)さよのなかやま

日本歴史地名大系 「小夜中山」の解説

小夜中山
さよのなかやま

[現在地名]掛川市佐夜鹿さよしか榛原はいばら金谷かなや町佐夜鹿

佐野さや新田北東にある。佐夜中山・佐野中山などとも書き、「さや」とも訓じる。小夜は「塞」の転訛といわれ、邪悪を遮ぎる「塞の神」を祀る峠で、旅の安全を祈る「手向け」の神がいる峠でもあり、塞の神の神体は丸石で、のち夜泣石の伝説が付加されたという説もある。東海道の中山峠の峠道は榛原郡佐野郡の境にあたり、約一里の尾根路が小夜中山とよばれる。

〔古代・中世〕

東海道の難所の一つで、歌枕としても知られる(「五代集歌枕」「八雲御抄」など)。「古今集」巻一二の恋歌友則の「東路のさやの中山なかなかに何しか人を思ひそめけむ」の歌が載り、巻二〇の東歌には甲斐歌として「甲斐が嶺をさやにも見しがけけれなく横をりふせるさやの中山」とある。また「新古今集」巻一〇の羇旅歌に載る「年たけて又こゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜の中山」は西行の歌として有名で、文治二年(一一八六)に奈良東大寺修理勧進のために陸奥に赴いた際に詠んだものといわれる。このように古代・中世の多くの歌集に詠まれる一方、紀行文にもしばしば登場する。菅原孝標女は寛仁四年(一〇二〇)九月の回想として、「更級日記」に「とうたうみにかゝる、さやの中山など越えけむほどもおぼえず」と記しており、貞応二年(一二二三)四月一二日に事任ことのまま社から当地に向かった「海道記」の作者某は、その景観を「小夜の中山にかかる、(中略)左も深き谷、右も深き谷、一峰に長き路は堤の上に似たり」と描写している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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