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日野俊基 ひのとしもと

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日野俊基
ひのとしもと

[生]?
[没]元弘2=正慶1(1332).6.3. 鎌倉
鎌倉時代末期の廷臣。種範の子。下流の儒家の出であったが,後醍醐天皇の信任を得て,元亨3 (1323) 年蔵人。日野資朝らとともに天皇の討幕計画に加わった。正中1 (24) 年9月陰謀が発覚して六波羅探題に捕えられて鎌倉へ送られたが (→正中の変 ) ,翌年許された。

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デジタル大辞泉の解説

ひの‐としもと【日野俊基】

[?~1332]鎌倉末期の公卿。後醍醐天皇に登用され、日野資朝らと討幕計画に参加したが、六波羅探題に探知されて、捕らえられた(正中の変)。のち、許されたが、元弘の変で再び捕らえられて鎌倉で斬られた。

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百科事典マイペディアの解説

日野俊基【ひのとしもと】

鎌倉末期の廷臣。大学頭種範の子。日野資朝とともに討幕計画に加わったが,1324年事前に露顕して捕らえられた(正中の変)。いったん許されたが,元弘の乱に再び捕らえられ,1332年,後醍醐天皇が隠岐(おき)に流された際,鎌倉で斬られた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日野俊基 ひの-としもと

?-1332 鎌倉時代の公家(くげ)。
元亨(げんこう)3年(1323)蔵人頭(くろうどのとう)となる。後醍醐(ごだいご)天皇の側近として,日野資朝(すけとも)らとともに討幕計画(正中(しょうちゅう)の変)に参加,謀議が発覚して捕らえられたが赦免。再度の討幕計画(元弘(げんこう)の乱)にも失敗,鎌倉におくられ,正慶(しょうきょう)元=元弘2年6月葛原岡(くずはらがおか)で殺された。
【格言など】古来の一句 死もなく生もなし 万里雲尽きて 長江水清し(辞世)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

日野俊基

没年:正慶1/元弘2.6(1332)
生年:生年不詳
鎌倉後期の公卿。父は大学頭日野種範。元亨3(1323)年蔵人頭に任ぜられた。後醍醐天皇の側近として討幕運動に専念。天皇の密命を受けて,反幕勢力の実情を調査するために,山伏姿に変装して「国ノ風俗,人ノ分限」(『太平記』)をたずねて各地を歩き,楠木正成,新田義貞,足利高氏(尊氏)らと接触した。有名な「無礼講」も,かれの計画であったといわれている。酒席に美女をはべらせ,幕府の目をくらませつつ,討幕の謀略を重ねたが,三位房遊雅と土岐頼春の密告によって第1次討幕運動(1324年の正中の変)は失敗した。六波羅探題によって,日野資朝と共に捕縛され,鎌倉へ護送されたが,万里小路宣房の尽力によって赦免された。元弘1(1331)年,右中弁となったが,再度の討幕計画の失敗により,文観,円観らと共に捕らえられた(元弘の変)。討幕計画の首謀者として,鎌倉葛原岡で斬首された。

(佐藤和彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

ひのとしもと【日野俊基】

?~1332) 鎌倉末期の廷臣。種範の子。後醍醐天皇に登用されて蔵人頭くろうどのとうとなる。討幕運動に参加、正中の変で捕らえられた。のち許されたが、再び討幕の謀議が発覚、捕らえられ鎌倉で殺された。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日野俊基
ひのとしもと
(?―1332)

鎌倉後期の公卿(くぎょう)。儒学者大学頭(だいがくのかみ)日野種範(たねのり)の子。名門の出ではなかったが、学問に優れていたため後醍醐(ごだいご)天皇の信頼を得て、1323年(元亨3)には蔵人頭(くろうどのとう)まで出世した。当時としては異例のことであった。日野資朝(すけとも)らとともに倒幕を目的とする会合である無礼講(ぶれいこう)に参加したが、計画の発覚により24年(正中1)資朝とともに六波羅探題(ろくはらたんだい)に捕らえられた(正中(しょうちゅう)の変)。しかし事件の中心人物とはみなされず許された。31年(元弘1・元徳3)天皇の再度の倒幕計画(元弘(げんこう)の変)の際に、吉田定房(さだふさ)の密告によって僧文観(ぶんかん)・忠円(ちゅうえん)らとともにふたたび六波羅探題に捕らわれて鎌倉に送られ、翌32年(元弘2・正慶1)6月3日鎌倉葛原岡(くずはらがおか)において斬(ざん)に処せられた。[小林一岳]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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