小平浪平(読み)おだいらなみへい

日本大百科全書(ニッポニカ)「小平浪平」の解説

小平浪平
おだいらなみへい
(1874―1951)

日立製作所の創業者。栃木県生まれ。東京帝国大学電気工学科卒業後、藤田組小坂鉱山、広島水力発電、東京電燈を経て、1906年(明治39)久原鉱業所日立鉱山に工作課長として入社した。11年電気機械の製作事業を企図して同所日立製作所を発足させ、20年(大正9)にはそれを日立製作所(株)として分離独立させた。そして専務を経て、29年(昭和4)社長に就任し、第二次世界大戦後に公職追放を受けるまでその地位にあった。

 この間、「日本人の手で欧米輸入品に負けない製品を製作する」「技術と営業は製作事業の両輪である」などの理念をもって経営にあたり、日立製作所をわが国有数の総合電気機械メーカーに育てた。また、日産コンツェルン系会社役員、電気学会会長、重要産業協議会理事などに就任した。

[宇田川勝]

『藤田勉著『日本の電機工業を築いた人・小平浪平翁の生涯』(1962・国政社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「小平浪平」の解説

小平浪平
おだいらなみへい

[生]1874.4. 栃木
[]1951.10.5.
日立製作所の創設者。東京大学電気工学科卒業。東京電灯 (東京電力前身) 技師在職中,電気機械の国産化を志し,日立鉱山内で誘導電動機の自家生産を開始,1910年日立製作所として独立,本格的生産に入った。国産技術の開発と発展を理想として外国技術との提携を排し,機械生産技術の総合化と国産化を追求,同製作所の基礎を築いた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「小平浪平」の解説

小平浪平 おだいら-なみへい

1874-1951 大正-昭和時代の実業家
明治7年1月15日生まれ。39年久原(くはら)鉱業所日立鉱山に入社。43年5馬力の国産モーターを完成した。大正9年日立製作所を創立し,昭和4年から22年まで社長をつとめた。昭和26年10月5日死去。77歳。栃木県出身。東京帝大卒。

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世界大百科事典内の小平浪平の言及

【日立鉱山】より

…坑道延長690km余,産出した粗鉱量は3400万t,銅量で44万tに上った。この間1910年にモーターなど電動機器の修理を担当していた工作課が,小平浪平の提案で久原鉱業所日立製作所として分離し,20年には(株)日立製作所として独立した。日立鉱山はこのように戦前の日産コンツェルン,今日の日鉱グループ,日立グループの母体であり,発展の原動力をなしたのである。…

【日立製作所[株]】より

…1905年(明治38)久原房之助が赤沢銅山を買収し久原鉱業所日立鉱山と改称したが,08年に同鉱山内に鉱山用電気機械の修理工場が設置されたのに始まる。10年には同鉱山工作課長小平浪平がこれを日立に移転,日立製作所とした。12年,久原鉱業所の改組に伴い久原鉱業(株)日立製作所となる。…

【日立鉱山】より

…坑道延長690km余,産出した粗鉱量は3400万t,銅量で44万tに上った。この間1910年にモーターなど電動機器の修理を担当していた工作課が,小平浪平の提案で久原鉱業所日立製作所として分離し,20年には(株)日立製作所として独立した。日立鉱山はこのように戦前の日産コンツェルン,今日の日鉱グループ,日立グループの母体であり,発展の原動力をなしたのである。…

【日立製作所[株]】より

…1905年(明治38)久原房之助が赤沢銅山を買収し久原鉱業所日立鉱山と改称したが,08年に同鉱山内に鉱山用電気機械の修理工場が設置されたのに始まる。10年には同鉱山工作課長小平浪平がこれを日立に移転,日立製作所とした。12年,久原鉱業所の改組に伴い久原鉱業(株)日立製作所となる。…

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